[コメント] ロッキー3(1982/米)
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ゴロツキだったロッキーに唯一無二のチャンスを与えたのは、正確にはアポロではなく、ボクシングという巨大ビジネスのシステムだった。一作目のアポロには「その日」に試合をしなければならないというプロモーター・スポンサーとの契約があり、その契約こそがロッキーに戦いの場を与えたのだ。
ヘビー級のプロボクシングは常にこうした巨大資本に動かされており、マッチメークから試合会場に至るまで選手やマネージャーの意向が及ぶことはほとんどない。『2』でアポロがロッキーを防衛戦の相手に選択できたのも、彼が自身をプロモートできるほどの財力を持っていたからに他ならない。
こうした巨額の「カネ」が動くという現実が、ヘビー級のプロボクシングを「スポーツの王様」たらしめ、アメリカン・ドリームと呼ばれる所以なのだ。そして『ロッキー』第一作はこうしたボクシングのビジネス的な一面が展開に生かされていたからこそ、名作となり得たのである。
だが、いざロッキーがタイトルを奪取した今作では、興行の支配者たるプロモーターの存在が完全に消えてしまった。ロッキーは自分が倒した相手がどんな選手かさえ知らなかったし、あのレスラーとのチャリティをセットしたのが誰なのかも省略されている。それによってサンダー・リップスは好き勝手に暴れ回り、我らがヘビー級チャンプは手ひどく蹂躙されることになる。チャンプは1試合で数10億円を稼ぎ出す「金の成る木」だ。あんなの、実際に現役のヘビー級王者にあんなことしたら恐い人たちに射殺されるよ。
ヘビー級王者になったロッキーが真に戦うべき相手は、その「利権」に巣食う取り巻きの大人たちのはずだった。ボクシングビジネスの「利権」の恩恵を出発点に駆け上がったロッキーだからこそ、王者になったのならその「利権」に葛藤を生むべきだった。
草ボクサーから一気に世界の頂点に上り詰めたロッキー。だが、その頂点が、草ボクシングと何ら変わることのない、思いのほかスケールの小さなシステムとして描かれたことが何より残念だった。
そして、またまたあいも変わらずサイテーなポーリーだけが辛うじて世界観を支えている。っていうかロッキー、右目はもういいのか?
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