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[コメント] 嫌われ松子の一生(2006/日)

決して映像を過信せず、あくまで登場人物の「行動」によって物語を展開しようとする中島哲也。この貪欲な姿勢こそ、そんじょそこらのPV・CM上がりとの決定的な差なのだ。この監督はマジハンパねぇ。レビューは松子の「夢」について→
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 冒頭、しつこいくらいにクレジットされる「DREAM」という言葉。そして「夢を実現して幸福になるヤツはひと握りで、大多数はしょぼくれて生きてく(うろ覚え)」というモノローグ。つまりこれは「河川敷で惨殺された薄汚い女の、夢についての物語である」と宣言されるわけだ。

 だが、実際の松子ちゃんときたらハナから夢なんて持っちゃいない。ただ父親の愛を享受せんがためだけに教師になり、太宰かぶれの文学青年の愛を手放さんがためだけに家族には縁を切られ、しょぼくれた床屋と添い遂げんがためだけに美容師免許まで取っちゃったりする。まさに「愛の奴隷」。「愛を乞うひと」だ。そんな松子ちゃんにとっては「愛」を捨ててウズベキスタンに旅立つアスカなんてもう宇宙人に見えるんだろう。どれだけ殴られようが転げ落ちようが「愛」まっしぐら。それが『嫌われ松子の一生』である。

 だが、これは「夢」についての物語だったはずだ。

 アスカがウズベキスタンに旅立つシーンの直後、その対比として松子ちゃんの口から「夢」というキーワードが出てくる。ヒモ殺人容疑で収監されたシーンだ。

「新幹線。夢の超特急、一度も乗ったことないから。乗ってみたかったの。それはまさに夢のような速さで──(うろ覚え)」

 こうして松子ちゃんに設定された「夢」は唐突に発表され、しかもすでに叶えられてしまっている。こんなささやかなささやかな夢でさえしかし、彼女が能動的に夢に向かって行動を起こしたのは殺人を犯して自殺を覚悟した後だったことが何とも悲しい。自殺を決意した松子ちゃんは生まれて初めて「愛を乞う」ことを止めた。そして冥土の土産にとばかりずっと夢だった「夢の超特急」に乗ってみたのだ。そして「それはまさに夢のようだった」と嬉しそうに語るのである。

「夢を求めるならば孤独すら恐れやしないよね」といったのはたしか尾崎豊だったか。ともあれ映画中盤でこのように「松子の夢」というテーマは消化されてしまう。その後の彼女はひたすらに孤独を恐れ、孤独を憎むようになる。

 だが一方で松子ちゃんは非常に努力家でもある。成り行きで入ったトルコではナンバーワンになっている。あの規模の「お仕事系」の店でドシロウトの姫がナンバーワンになるのはきっと大変な努力だったはずだ。自室でトレーニングに勤しむ彼女には「ヤルときゃヤル女」のたくましさが溢れている。銀座の美容室もそうだ。免許取りたてのくせに実に堂々と仕事をこなしているじゃないか。

 そんな時期、松子ちゃんは「愛」にこそ恵まれていなかったものの居場所を得て実に活き活きと生きている。だから時代の流れに取り残されてトルコを後にする連中はみな松子ちゃんに心情を吐露して去ってゆくし、サワムラは松子ちゃんの前だけで涙を見せる。

 その後リュウとの偶然の再会によって時計の針を戻されてしまう松子ちゃんだが、ブクブクに太ってボロボロになっても再度美容師という「居場所」へ歩みだそうとしたとき、彼女は敢然と中学生を怒鳴りつけて見せた。

 松子ちゃんはあまりに多くのものを失ってしまったがために中学生の無邪気な悪意によって撲殺されてしまった。だが、彼女はその死の瞬間、立派に誇りを取り戻していたのだ。

 誰が言ったか現代は「夢を持てない時代」らしい。確かに明確な夢を持ってそれを実現し、夢の舞台で戦えている人間はごくわずかだし、そんな人たちは本当に幸せ者なのだろう。ほとんどの人間が自分の居場所を、松子のように「受動的」あるいは「消去法的」に選んでいるのが現実だ。だが、そんなことは問題じゃない。夢が潰えようが夢を見失おうが夢に傷つこうが、人は何処で何をしていようとも、その舞台で生きがいと誇りを持って生きていくことができるはずだという思いがこのフィルムにはこめられているのかもしれない。この映画はたぶん、夢を実現できずにしょぼくれて生きている大多数への応援歌なのである。うーん、やっぱり5点。

(評価:★5)

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