[コメント] ブラッド・ダイヤモンド(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画のテーマに社会的意義なんてものがあるとするなら、そのメッセージは「おっきいダイヤがほしーの☆」とニッコリ微笑み、男衆を悩ませるレディたちに向けて発信されるべきものだろう。ダイヤモンドの主な消費者たる彼女たちの心に「何か」を残してこそ、『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がつくられた意味があるんじゃないだろうか。
ならば映画は、まずみんなが興味を抱ける作品であったほうがいい。私も含め(私は男だが)観客というのは至極勝手な生き物で、どれだけ正しいメッセージを発信されてもそれが退屈だったり不快だったりすると、受け止めることを拒否してしまう。この手の啓蒙的な意味を孕む映画は、極端に言えば「どれだけ多くの人間に露出したか」が勝負なのだ。映画にできることなんて、人間の心にこうした「思想の種」を植え付けることくらいだ。だったら「種」はより多くばら撒かれたほうがいいし、多くの種をばら撒くためには小難しい映画じゃダメで、作品として面白くなくちゃならない。
「あの映画、どうだった?」
「なんか難しくて暗くてグロかった」
となれば、それで終わりだ。何も始まらない。
だが、
「あの映画、どうだった?」
「レオ様カッコいいし、面白かったし、いろいろ考えさせられたよ」
なら、それこそがこの映画の成功だと思う。『ブラッド・ダイヤモンド』は、そういう意志を持って生まれた映画なんだと思う。
その意味で、どうにも傭兵離れした甘いマスクのレオ様が主人公に起用されたことを歓迎したいし、エンターテイメントとして充分に楽しめる作品をつくったスタッフの創作姿勢を、私は支持したい。
たとえダイヤモンドの密輸が完全になくなって取引が正常化しても、たぶんアフリカがすぐに豊かになることはないだろう。ダイヤの発掘現場は相変わらず奴隷染みた労働環境であり続け、貧困に苦しんで小競り合いを繰り返すにちがいない。だけど、この物語のように「ビッグなダイヤを掴んだヤツは地獄から這い上がれるんだ」という状況になれば、それでも今よりずっとフェアだし健全じゃないか。
「T.I.A.(これがアフリカだ)」──いつか皮肉じゃなく、誇りを持って彼らがその言葉を口に出せる日が来ればいいと、少なくとも私は思えた。だから、この映画はこれでいい。これがいい。
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