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[コメント] シッコ(2007/米)

ムーア映画をして嘆くしかないというアメリカ医療の現状を思わされる。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「そしてフランスは、英国は、アメリカより平均寿命が長いのだよ」とムーアは言う。そしてあたかも、「医療費タダ」というシステムが長寿の、つまりは健康で幸福な生活の唯一絶対条件であるかのように彼は論ずる。だが、私の知る限り世界で最も平均寿命の高いユートピアたる国家に「医療費タダ」のシステムは存在しない。それどころか、そのユートピアでは最近、病院が救急車を門前払いしたり麻酔医がみんな辞めちゃったり3割の自己負担分を払えない患者の踏み倒した医療費がいつの間にか8億ドルを超えてたりなんかして、医療制度が円滑に機能していないどころか、ほとんど崩壊寸前なのだという話も聞く。

 そんなわけで、世界最長寿国・日本はこの映画には登場しない。なぜなら日本の医療制度は決して万全ではないし、印象的でもないからだ。カナダ、フランス、英国やキューバはあくまで米国の医療制度との比較をより効果的に論ずるためだけにサンプリングされたモチーフであり、そのシステムが内包しているであろう問題点はひたすらに隠匿されている。だからこの『シッコ』という映画は必ずしも“真実”だとか“問題の本質”だとかに肉薄しているとは言い難いドキュメントだと、そりゃ、普通に考えれば思うわけで。

 だけど、私はムーアの「わかりやすさ最優先」のやり方は正しいと思う。知識を与えて終わり、言いたいことだけ言って終わりというのではなく、観る者の気持ちを動かし、行動を起こさせることを目的とする彼の創意を、私はカッコいいと思う。キューバの消防署のくだりなんてまったく医療制度問題と関係ないのに、あえて挟み込んで、「みんなで手を取り合って生きていこう」なんてド直球を投げられる彼の実直さが尊いと思う。彼はきっとアメリカが大好きなのだろう。アメリカが好きだから、彼は映画をつくっているのだろう。

ボウリング・フォー・コロンバイン』や『華氏911』に比べて、本作のテンションは低い。話の組み立ては相変わらず冴えに冴えているが、怒りに任せて笑い飛ばす暴走トラックような彼のスタンスは影を潜めている。それは、前2作が銃社会や現政権という糾弾対象の「機能不全」を目的とした作品だったのに対し、今作はあくまで現状に基づく「機能改善」が目的だからだ。保険会社の悪辣ぶりはいくらでも叩けただろうけれど、徹底的に叩いてしまえば現在その恩恵を受けている人々にまで不利益が及ぶ可能性だってあるのだ。とても難しい仕事に、彼は向き合ったと思う。

 幸いにも日本には、いまこの瞬間に五指が千切れても何とかなるだろうという安心感が、まだ、ある。それでも、海の向こうの怒れる愛国者マイケル・ムーアがつくった「嘆きのドキュメンタリー」から感じ取れることは、決して少なくない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)まー イライザー7

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