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[コメント] 北のカナリアたち(2012/日)

素材が悪けりゃ、どれだけ名コックでもまずい料理しかできない。それだけの話。
Master

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







北の零年』、『デビルマン』以降8年干されていた那須真知子湊かなえの作品を脚本にするという事で、さすがに原作を蹂躙はできないだろうと思っていたらまさかの「原案」。これで企画を通してしまうのがそもそもの間違いなのだが、制作陣は8年もあればさすがに成長したと思ったかこうして作品が作られてしまった。

出来は予想通り。修行かと思うほど過酷な時間であった。以下、気になったところを羅列する。

はる(吉永小百合)が誰に会いに行っても「そんなことするわけがない」という会話で話が始まる。そんな天丼が4回も連続する。工夫がなさすぎる。

はるの旦那・行夫(柴田恭兵)、「僕のことは良いから君のことをしなさい」とまで言い切るのなら、はるが英輔(仲村トオル)と会っているといううわさが流れたときに自分の死期が近くそういう行動を後押しする(認めている)事をせめて久(里見浩太郎)には話しておくのが普通。

人形の出し方が唐突に過ぎる。最初の取り調べの時などいくらでも「出しどころ」はあったはず。それもさりげなく出さず「はい、重要ですよ〜」と言わんばかりに提示するのは恥ずかしい。

北海道の冬の寒さを舐めきっている。現地で寒さをよける手段がない人間に「私が行くまで島にいなさい(野宿しろ)」と言うのは「死ね」に等しい。

信人(森山未來)の通話記録を警察が確認しないままはるに会うという状況は考えにくい。「あの先生にしてやられましたね」なんてのんきなことを言っているような警察は都合がよすぎる。

「生きている」の手紙。指示とはいえバカ正直にもほどがある。もちろんその一言にしないとスクリーンに映した時に目立たないという「事情」は分かるが、手紙の裏が本人の写真で問題ない。

はるのビジュアルおよび吉永への演出。本作においてこのキャラクタは40ぐらいから60ぐらいまでの年齢幅がある。にもかかわらず、このキャラクタの相違点は髪の長さだけ。千歩譲って吉永本人はいざ知らず、一介の市井の教師にそういった「マジック」がありえるのか。里見には20年の年月を感じさせる演出をしているのに吉永にそれをしないのは不自然に過ぎる。

子役。特に信人の子役の演技プランが酷い。大変申し訳ないがこの子が喋れば喋るほど不愉快。吃音にしても嘆きにしてももっとうまくできる子はいるだろう。歌で選んでいるのかもしれないが、歌はアフレコでいい。

とは言え、感動できるという人がいるのはわかる。最後の教室での信人の咆哮という手段で既に墜落した飛行機を無理やり飛ばし、それなりの作品っぽくしている。他の5人の若人の助演も相まってそのシーンだけ切り取れば大感動作である。本作への評価を1にしないのはこの部分があるからである。

ただ、このシーンを目いっぱい生かすのであれば、根本的にこの話の主人公はこの6人の中から選んでいなければならない。その意味では真奈美(満島ひかり)か勇(松田龍平)を主人公にし、はるのキャラクタを組み込んでしまった方が良かった。

まぁ、齢70ほどの女性のアイドル映画と割り切ればそれなりには楽しめるのであろう。そういう需要が全くない僕にはただただ辛かった。

(2012.11.16 シネプラザサントムーン)

(評価:★2)

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