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[コメント] Fukushima50(2019/日)

福島原発の中で起こっていたことを見せた意義はあるが、それをどう帰着させるのかという制作の役割に対して無頓着なのはいただけない。
Master

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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未曽有の震災で原発が暴走したが、勇気ある現場の作業員の活動と幾ばくかの幸運によって原発の暴走は止められました。という事実はよくわかった。会議室など諸々の設備の再現具合など、よくできている部分も多く見受けられ、そこは評価されてしかるべきと思う。

しかしながら、2020年を迎えている今、この題材に挑むうえでは原発の暴走が止まった「その先」を含めて提示するのが期待される役割なのではないかと思うが、本作の制作陣にその覚悟はなかったようで、「復興五輪」の聖火リレーが福島から始まるという「見せかけの復興儀式」の提示でお茶を濁すありさまには落胆を禁じえなかった。

復興五輪のために福島のみならずその後に発生した災害による被災地の「復興」に関する事業、作業が少なからず影響を受けているという話もある。そこに思いを至らせることはできなかったものか疑問である。

あとは、「事実に基づく」作品としての弊害がいくつかあることも指摘しておきたい。まずは作業員の家族関連の本筋に関連しないどうでもいいエピソード。意図はわかる。 父としての役割、生きて帰ることの追求。そこを印象付けたいのはわかる。だが、あまりにステレオタイプな父子関係を提示する必要がどこにあるのか。

また、「携帯メールをほぼ即時的に送受信できる状態だったか」について調べたのかも疑問である。(総務省が2011年9月29日付で公表している資料で、4月11日段階でも 福島原発近辺は携帯通信網が不通状態であることが明示されている。参考:http://www.bousai.go.jp/oukyu/higashinihon/4/pdf/soumu.pdf)

そして、官邸まわりだ。一切匿名にして「逃げ」を打つのも戦略として否定するものではないが、事故調査委員会の報告書も存在する中で総理が「キャンキャン騒ぐだけ」のような印象を与えることは「事実に基づく」の一文で脚色の一環として認容されるのか。(「拙速な対応」が報告書で指摘されているのであながち間違いではないが)

全体的に吉田所長を筆頭にした原発作業員の方々への誠実さとそれ以外の部分への「不誠実さ」が目立つ仕上がりになっている。題材に対して持ってしかるべき覚悟がない。少なくとも僕にはその覚悟が感じられなかった。大いに残念である。

(2020.03.21 シネプラザサントムーン)

(評価:★3)

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