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[コメント] 海炭市叙景(2010/日)

郊外の道路の一本一本に感情を込めていく作業。
パグのしっぽ

豚屋の婆ちゃんがいなくなった猫を探して「グレ〜グレェ〜」と路上で声をあげる場面にガツンとやられた。都会のビルの谷間でもなく緑豊かな田園でもなく、映画的に全く絵にならないであろう造成地の一角でのドラマ。背景の美しさ、構図の奇抜さに頼らず、普段の生活の何気ない「隙間」に感情を込める。本作は全編を通してその姿勢を貫く。それは奇をてらった手法ではなく、地方都市の生活を題材にした時点で必然的に導き出されたやり方だったのだろう。華やかではないが不幸のどん底でもない、今日と同じ一日が明日も明後日も繰り返される錯覚の中で、ゆっくりゆっくりと旋回しながら下降していく。アパートの一室、燃料店の事務所、裏通りの一角で音もなく続けられるそんな日々。本作の映画化にあたっての目的の一つに「現在の函館の町並みを記録し、後世に残す」があったそうだが、単なる景色の記録だけにとどまらない何かまで、フィルムにくっきりと焼き付けられている。

私の実家は北海道の典型的な郊外住宅地にあるけれど、たまに帰省して犬の散歩に出かける度に、近所の風景の「絵にならなさ」に愕然とする。田畑があるわけでない、隠れ家的なおしゃれレストランがあるわけでもない、30年前に原っぱを造成した地域なので歴史もない、本当に家と小さな公園だけの地域。一度本州の(厭らしい言い方をすると、内地の)大都市で暮らしてみると、その光景に寂しさを越えて哀しさを感じるようになった。 雪に埋もれそうなガスボンベ、黒く汚れた道路沿いの雪山、自販機の明かり、そんなものがいちいち哀しい。本作の製作陣もこれと同じ思いがあったに違いない、と勝手に思い込んでいる。

各種メディアが本作の上映情報を掲載する際、北海道など地方の情報を無視し首都圏の上映情報だけを掲載していたことを、とあるミニシアターの代表がHP上で嘆いていた。私も同じように、「そういうこと」なのだと思う。地方で作った極めて地方色の強い作品であっても、その上映対象として想定されているのは首都圏の観客だけなのだ。都会のことしかイメージできない人間は、本作を勝手に解釈して楽しめば良い。ただ、その視線からは絶対に分からない大切なことが、製作陣によって作品に込められている。素晴らしい作品でした。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)たろ[*] まー[*] chokobo[*] 3819695[*] 水那岐[*] セント[*] ぽんしゅう[*]

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