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[コメント] ウォッチメン(2009/米)

史上最大のプラクティカルジョークは冷笑的?
SOAP

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







(一部の人に絶賛されているという以外は何も知らずコタツに入りノートパソコンとイアフォンで観賞。1回目はオチにはびっくりしたが自分の情報処理の遅さ等でピンとこず、色々確認がてら英語字幕で再見(ロールシャッハ以外のセリフとストーリーは理解できるくらいの、僕の英語レベル苦笑)。劇場で見ていたら印象が大分違っていた可能性が大きい。予備知識の量でも同じくいえそうである)

正義と悪はマーブルに存在するという最近の潮流にこの映画も乗っているということは誰にでも分かる。

イングロリアスバスターズ』はそれを主にブラックユーモアと狂気で描き、『ダークナイト』はそれを本気でクソまじめに描いたといえるかもしれない。

それでは、この映画は?というと、僕にはとても冷笑的に描かれているように思える。それ故にこの映画は良くも悪くも面白さを必然的に削ぎ落としているような感じがする。この冷笑的な所をどう捉えるかで評価は全く異なると思うし、正直迷うのだが、だからといって高くも低くもできない。なので真ん中で。

面白さが削ぎ落とされているように僕が感じる点は、ヒーロー達が何に立ち向かっているのかよく分からない所だ(これは悪口ではないです。ストーリー上しょうがないといってみればそうなのだと思う)。

前述の『イングロリアス〜』と『ダークナイト』は名目上の正義が名目上の悪と立ち向かうが、この映画は前提としてロールシャッハを除き自分たちがもはや正義だとも思っていない。

立ち向かうべき相手については、コメディアン(まさに正義と悪のマーブルを体現したような人物)を殺した犯人と、勃発しようとしている核戦争といえるのだが、前者については殺された人物が人物なので謎が解けるまで正義か悪かも分からず、後者も自分たちがどうにかしよう、とも特に思っていない。

両方ともそれぞれ一人の人物(前者はロールシャッハ、後者はオジマンディアス、しかしオチまでその事が具体的に全く分からない)が解決しようとしているだけなのである。

あと3人のヒーローがいるが、Dr.マンハッタンは地球に無関心な役立たず(注:オチには役立つ)で、ミス・ジュピターは恋愛に悩み、ナイトオウルとなると一体何がしたいのか全く分からない。僕は初めに、ナイトオウルが主な主人公なんだろうな(何故なら死なないだろうから)、と変な先入観をもっていたので、ナイトオウルが最後の悪あがき以外に何もしないことにもどかしさを(まさしく勝手に)感じてしまった。

前述ではカウントしていないが、もう一つ、ヒーローが立ち向かう相手に、腐りきった民衆がある。

両者が争う場面は3つあったと思うが、ここの描写がとくにこの映画の冷笑的な面を象徴しているように思える。

一つは、回想シーンでコメディアンがウォチマン規制派との騒乱で、催涙弾らしきものを放ちながら「これがアメリカンドリームだ」と叫ぶところ。ヒーローがいても、どうにもならない状況なのである。

二つ目はナイトオウルとミス・ジュピターが、襲ってくるチンピラと戦うシーン。初めはこのシーンの役割が全く分からなかったが、仕方なしに意味の無い戦闘をすることにより自分たちがヒーローであった事が皮肉にも回顧させられるシーンだと僕は解釈する。

三つ目は、ロールシャッハの刑務所からの救出シーン。

「この刑務所にはお前を恨む奴は50人はいるんだぜ」

と、凶悪犯に囲まれた救いようの無いロールシャッハの状況を、ナイトオウル、ジュピターが助けるのかと期待させておきながら、ロールシャッハは自分一人でその状況をいとも簡単に打破してしまうのである。50人もいると予告しておいて、3人しか結局出てこず、しかも1人は腕を仲間に切られるという皮肉、観客への裏切りは一体何なんでしょう。結局3人はいとも簡単に雑魚を倒し刑務所から出て行く。

一応ここは大きなアクションシーンだが、非常に冷めた態度の描写だと思った(しかし最初に書いたようにスクリーンで見てたらかわるかもしれません)。

反対にクライマックスのオジマンディアス対他のヒーローの戦いは、逆にロールシャッハ達が無力すぎて、何と地味なシーンなんだろうと感じ、これがクライマックスなのか?というくらいであった(スクリーンで…かもしれないが、やはりそれでも地味ではないかと思います)。

以上の事から、この映画は通常のアクション映画にあるようなどっちが勝つか分からないような戦闘のスリルや登場人物の危機(ラストでロールシャッハ達は一応危機に立たされているが、負け戦での危機というのはほとんど意味が無いように思える)、カタルシスを悉く排除しているように僕には思える。そこには「形式的な」アクションがあるだけなのだ(ただし、スクリーンで…という点と、自分がアクション麻痺しているという点で反論は可能かもしれない)。

コメディアンは、ヒーローの無意味さを象徴しながら死ぬ。

ロールシャッハは自分の正義を信じるがゆえに死ななければならなくなる。

Dr.マンハッタンは有力ながらも、もはや別世界に生きており、人間のちっぽけさを悟ってしまっている。

オジマンディアスは世界一聡明な有力者で、人類をどうにかするには、史上最大のジョークを行使するしかないという皮肉を悟る。

ミス・ジュピターは偉大すぎるDr.マンハッタンと一緒にいる事が困難になり、一番無力なヒーローと一緒になり、セックスをし、最後は助かるのである。

ナイトオウルはもはや「ただの人」で、だからこそセックスが出来、最終的に良い思いをするのである。

結局、一番頭の良い奴と、普通の人だけが生き残るという皮肉が、全編を通しての雰囲気に影響しているようにしているように思える。

09 12/30

(評価:★3)

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