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[コメント] アイガー北壁(2008/独=オーストリア=スイス)

山岳シーンのスペクタクルはAクラスだし、役者もいい。だが時代背景とメロドラマ要素の出来が悪いから、人間ドラマとしては凡庸だ。もっとうまくやれたはずなのにもったいない。
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まずは、劇場でニュース映画を見るヨハンナ・ヴォカレクのルックスに惚れた。編集会議で見せた慎ましさから一転、ベンノ・フュアマン(クルツ)やフローリアン・ルーカス(ヒュンターシュトイサー)と同郷だと誇らしげに頬を赤らめるところがいい。だがこうした人間関係はうまく成長してはいかない。

アイガー北壁を初登攀するのは、ドイツ国家の威信を示すことであると同時に、フュアマンにとっては、ヴォカレクを「落とす」ことにもつながるのだ。こうした多義的な象徴性は、映画作家としては腕の振るいどころであるのだが、脚本監督のフィリップ・シュテルツェルの若さが災いしたのか、人物の心の動きが伝わってこないもどかしさを感じてしまった。

ひとつ具体的なシーンを上げると、フュアマン登攀の前夜、彼は肌身離さず持っていた登山記録ノートをヴォカレクに託す。そこで二人はキスを交わす。ところが翌朝、いち早くテラスに現れるのは上司ウルリッヒ・トゥクールなのである。寝ぼけ眼でロビーに姿を見せるヴォカレクの気持ちがわからない。

クライマックス、ユングフラウ鉄道のトンネルを「歩いて」辿り、アイガーヴァント駅にやってくるヴォカレクの行動も無謀に映る。フュアマン遭難の岩場と坑道入口の位置関係の描写はよいのだが、彼女まで命を危険に晒し外壁で一夜を過ごすサスペンスの過剰サービスは目に余る。レスキューチームがどこか他人事なのは、ドイツという国家に対する嫌悪を隠せないためだろうが、ちょっとドライに描き過ぎであるとも思う。登山家が持つ、里と山とで変わる気持ち、変わらない気持ち、その機微の描き分けも不十分だ。

過去と現在、彼らと私たちを繋ぐヴォカレクのキャラクターがイマイチなので、尻すぼみの幕引きとなったのが悔やまれる。ただ、実景とセット撮影を巧みに織り交ぜた山岳シーンの出来栄えは大いに見ごたえがあり、CGとは異なるアナログの肌触りも感じさせてよかったと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ぽんしゅう[*] takamari[*] 佐保家 3819695[*] Master[*]

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