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3819695さんのコメント: 点数順

★4くちづけ(1957/日)前代未聞の超高速映画。いったい増村はイタリアで何を学んできたというのか(イタリアにこんな速い映画はない! たぶん)。しかし一見して勉強の成果が表に出ていないということこそが才能の証だ。増村はそんなものを直ちに/露骨に作品に反映させるような貧乏臭さとは無縁の、豊かな映画作家だ。 [review][投票(2)]
★4フランケンシュタイン(1931/米)一瞬たりとも気を抜いていない。ふざけていない。丹精を込めて拵えられたクラシックに美しい画面だ。美術のよさは実験室や風車小屋に限らず、墓場や岩場などの屋外も。とりわけ空の禍々しさはただごとではない。ボリス・カーロフの登場と湖のシーンはトーキー初期らしい無音の、凄まじい緊張感。 [review][投票(2)]
★4野いちご(1957/スウェーデン)登場人物が多い場面のほうが断然画面が生き生きしており、また単純に面白い。夢の中の食卓や事故夫婦が乗り込んで七人乗りになった車内。屋外の照明はやや飛ばしすぎか。物語自体は明快だが、冒頭の夢の不吉さを通奏低音とし、それをもって映画全体に含みを与えている。 [review][投票(2)]
★4砂塵(1939/米)ちょっとした傑作。三次元性の高いサルーンのセットとライティングはほぼ完璧。馬車を激しく揺らすことで平凡になりがちな馬車内ショットに刺激をもたらすなど、各所に画面の充実を図る丁寧な仕事が施されている。マレーネ・ディートリヒVS.ウナ・マーケルの大喧嘩&主婦連によるサルーン殴り込みのド迫力もすばらしい。[投票(2)]
★4イースタン・プロミス(2007/英=カナダ=米)いまだに「変態映画作家」のレッテルを貼られがちのクローネンバーグが獲得したクラシカルかつリッチな佇まいおよびその凄みを存分に感受せよ。この色彩の深み。アルマーニのスーツとサングラスを決めたヴィゴ・モーテンセンの格好よさ。ここで「格好よさ」とは純粋に見た目について。本当に、完璧に、格好よい。 [review][投票(2)]
★4田舎司祭の日記(1951/仏)ブレッソンらしからぬ、とつい口走りたくなってしまうほど「饒舌な」映画。それは何も溢れんばかりのモノローグのみを指して云っているのではない。残酷に人物に寄るトラックアップ。ディゾルヴ繋ぎ。定石を踏まえた音楽の使い方。だが、それらがこの映画の魅力でもある。後年の厳格さこそないが、これは極めて「正確な」饒舌だ。[投票(2)]
★4気狂いピエロ(1965/仏)観客を煙に巻く言葉の奔流は、しかしほとんど駄洒落の域にあって、それを「反復/ズレの快楽」などと呼ぶことも許されはするのだろうが、それ以上にゴダールが徹底してギャグの人であることを思い知らせる。真顔でかますギャグがいちばん面白い。私はそれをキートンに学んだ。おそらくゴダールもそうなのだろう。 [review][投票(2)]
★4神の道化師、フランチェスコ(1950/伊)愛すべき若者たちの映画。だから、これはあるいは青春映画だ。こんなに愉快で幸せな青春映画はそうない。彼らは各々の布教地を決めるために目を回して倒れるまでぐるぐると回る。この幸福な回転運動が「映画」だ。そしてなかなか目を回さない爺さん! それを見守るみんなの笑顔![投票(2)]
★4遠い国(1954/米)「雪」の、と云うよりもアンソニー・マンらしい「山岳」の西部劇。雪崩のカットには心底ビビる。ここでも映画の良心はウォルター・ブレナンであり、彼と少女コリンヌ・カルヴェが中盤までの楽しげなムードを支えている。悪役ジョン・マッキンタイアも紳士的な極悪人といった感じで魅力的だ。 [review][投票(2)]
★4怒りの河(1952/米)山越えシーン以降がすばらしい。それは「山」が地表の起伏・茂み・川・土埃・岩肌・雪といった画面造型上のアドバンテージを多く備えているからでもあるのだが、アンソニー・マンの演出自体が冴えを見せてくるのも山越えシーンを迎えてからだ。 [review][投票(2)]
★4ビデオドローム(1983/カナダ)徹底して「視覚」の物語を展開させるのは実に映画らしい。同時に、視覚を歪めて限りなく触覚に接近させるのがクローネンバーグらしさなのだろう。現実と幻覚(妄想)の等価性がきっちり保証されているので、教授や眼鏡屋の正体・目的が明かされてもその真偽は眉唾物であり、陳腐に堕するのを回避している。 [review][投票(2)]
★4妻は告白する(1961/日)云うまでもなく傑作。退屈になりがちなフラッシュバックを小沢栄太郎の怪演で支える前半。後半は若尾文子の「本性」で一気に勝負をかける。鬼気迫るフィルム・ノワール。というか若尾のオフィス襲来シーンに至ってはほとんど怪談。若尾演技の圧倒的な説得力と照明術がそれを正当化する。 [review][投票(2)]
★4美貌に罪あり(1959/日)日本映画には日本映画のダンスシーンがあるのだ。杉村春子山本富士子の盆踊りの凄まじさ。踊りが始まるとき、杉村の表情が瞬間的にプロフェッショナルのそれに変貌する。どうしてたかが盆踊りをするのにそんな本気顔になる必要があるのか! [review][投票(2)]
★4キートンの即席百人芸(1921/米)視覚についての映画。映画は原理的に不条理であるという命題。舞台演芸という非映画的事象をいかに「映画」化するかという試み。徹底して「説明」を放棄した語りの経済性にも驚く。それはむろん時代と形式(短篇)のためでもあるが、それ以上にキートンの天才のためだ。“Dress the monkey”の一言さえあれば人は猿になってよいのだ。[投票(2)]
★4偉大なるアンバーソン家の人々(1942/米)異形の画面群がオーソドックスなはずのメロドラマ/没落劇に怪物じみた表象を与え、監督の意に沿わぬ度を越した物語的省略までもがなぜかそれに拍車をかけるという異常事態にたまげつつ、要所要所で場をさらうアグネス・ムーアヘッドにもびっくり。「自動車」の映画としても歴史に残る。[投票(2)]
★4浜辺の女(1946/米)何かがおかしい。ひとつびとつのカットが、繋ぎが、どこかおかしく、それが不安と恐怖を煽り立てる。「昼の光」と「海辺」がそう呼ぶことをいささか躊躇わせるが、しかしこれはファム・ファタルをめぐる堂々たるフィルム・ノワールだ。 [review][投票(2)]
★4リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(1986/米)フェイク度の高いブラック・ミュージックとでも云えばよいのか、とにかく音楽にノリがあってよい。とりわけ町じゅうを巻き込んでの“Skid Row (Downtown) ”は泣き笑いながら踊るしかない名曲だとさえ思う。このシーンはミュージカル演出(人物/カメラの動かし方)もなかなか魅せる。 [review][投票(2)]
★4ヴァイキング(1958/米)血の繋がりがある(ことを知らない)者同士の争い、という神話的悲劇の側面はいいかげんにしか前景化されないが、そんなことはどうでもよい。ジャック・カーディフの撮影には惚れ惚れするばかりだし、アクションシーンは迫力満点。そしてフライシャーらしい無駄な面白さに溢れている。 [review][投票(2)]
★4赤線地帯(1956/日)冷たく醒めきった画面は、しかし触れれば火傷をする。もはや笑うしかない出来事ばかりが繰り広げられるが、その笑いはいつしか引き攣り、やがて声を失った自分に気づくだろう。溝口健二は最期まで引き裂かれた映画を撮り続けた。 [review][投票(2)]
★4黄色いリボン(1949/米)どうしてフォードだけが(というのは云い過ぎだが)ここまで疾駆する馬の速度感を画面に収めることができるのだろうか。ジョン・ウェインの「老い」を以って「戦わないこと」の西部劇を正当化しつつ、活劇性の確保にも余念がない。風景(=撮影)の力は云うに及ばず。ミルドレット・ナトウィックのキャラクタもよい。[投票(2)]