[コメント] 拳闘屋キートン(1926/米)
原題“Battling Butler”が名指す対象は、云うまでもなくまずここに登場する拳闘王者であり、延いては彼に成り済ます羽目になるバスター・キートンだが、さらには「戦う執事」すなわちスニッツ・エドワーズをも含むだろう。ここでエドワーズが担う笑いの比重はかつてのジョー・ロバーツ以上に大きい。
キートンの共演者として真っ先に思い浮かぶのは、ヒロインたちや独り立ち以前の相方ロスコー・アーバックルを除けばジョー・ロバーツしかいないだろう(実父ジョー・キートンとの共演も少なからずありますが、意外と印象はさほど強くなかったりします)。しかし、ほしいままに暴力を振るう容貌魁偉のロバーツは、自らで笑いを完結させるというよりも、もっぱらキートンのリアクションを引き出すことで笑いを生産する装置的存在だった。
一方でこのエドワーズは、キートンが拳闘王者であると勝手に偽るなど物語の推進力として働くと同時に、その度を越した執事ぶりでもって私たちを笑わせる。それはロバーツの振舞いが象徴するような純スラップスティックとは位相を異にするいささか言語的な(?)笑いかもしれないが、ともかくキートン映画への新たな笑いの供給源となっている。この大役の抜擢はおそらく『キートンのセブン・チャンス』での仕事ぶりが認められてのことだろう。引き続きキートン・フィルモグラフィのメドレー的佳品『キートンのカレッジ・ライフ』においても、劇にアクセントを加える役どころを与えられることになる。
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