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[コメント] ビデオドローム(1983/カナダ)

徹底して「視覚」の物語を展開させるのは実に映画らしい。同時に、視覚を歪めて限りなく触覚に接近させるのがクローネンバーグらしさなのだろう。現実と幻覚(妄想)の等価性がきっちり保証されているので、教授や眼鏡屋の正体・目的が明かされてもその真偽は眉唾物であり、陳腐に堕するのを回避している。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あるいは、これは「距離」の映画だと云ってみることもできるだろう。ヴィデオ映像(=ブラウン管)とそれを見る者としてのジェームズ・ウッズの距離、ウッズとヴィデオ映像の撮影空間の距離(cf.物語の舞台はトロントか。ビデオドロームの出所と目される場所として「マレーシア」続いて「ピッツバーグ」という地名が呼び出されるのは、それらが端的に「トロント」との距離的遠近を指示するからである)。この見る者-映像/撮影空間という距離の二重性の崩壊がすなわち現実感覚の崩壊であり、したがってウッズがブラウン管のデボラ・ハリーの唇に触れるカットは、(視覚と触覚の接近あるいは混乱という点においても)正しくひとつのクライマックスを形成している。ウッズの自殺もまず映像内で先行して行われ、肉塊がブラウン管を突き破って飛び出してくる。ここにおいて見る者-映像/撮影空間という距離の二重構造は完全に崩壊し、と云うよりも「見る者」「映像」「撮影空間」という概念自体が自壊して、映画は幕を閉じることになる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 赤い戦車[*]

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