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[コメント] 冬冬の夏休み(1984/台湾)

ホウ・シャオシェンの凄さを体感するにはこれを見るのが手っ取り早いだろう。演出による葛藤やもどかしさ、焦燥、さらには笑いの創出はキアロスタミを、冒頭卒業式シーンにおける望遠レンズでの空間把握などはカサヴェテスをそれぞれ想起させる。現代にも通用する八〇年代映画の最先端。まったくもって驚きの連続。
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**ネタバレ注意**
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序盤から驚異的な「列車」演出の乱れ打ちで、私の心はあっという間に鷲掴みにされる。なかなかやって来ない叔父を待つプラットフォームでの、列車に乗り遅れはしまいかというサスペンス。線路越しの隣のプラットフォームには偶然にもトントンの友人がいる。トントンは母親から「お祖父さんが怒るから電話はかけちゃダメよ」と注意されていたのに、そんな事情をつゆ知らぬこの友人は「手紙は面倒だ。電話をおくれよ」と云ってくる。このやりとりが後の展開の伏線になることはなかったが、これもまた見事なサスペンスを形成している。車内に移ってからの妹の尿意をめぐるドタバタの面白さも破格だ。そして今度こそ本当に乗り遅れてしまう叔父さん! さらに列車にこだわってみせるならば、祖父の家に着いてからも、付近の線路上を走るものとして列車は幾度も登場する。云うまでもなく『生れてはみたけれど』である(私の記憶が確かならばホウ・シャオシェンは『小津と語る』において「小津の映画を初めて見たのはそう昔のことではない」という意味のことを云っていたはずですが、果たして『冬冬の夏休み』撮影時はどうだったのでしょうか)。

列車を降りてからも創意豊かな演出は連続する。ラジコンカーと亀の対決。亀レース。それをミニ扇風機で邪魔する妹。裸の川遊び、裸のままでの帰宅。妹と白痴の交流もまた感動的なのだが、それはまず、その発端となる線路での時間・アクション演出の正確さに心を震わせられるからだ(妹を救出する瞬間のアクションとカッティングのキレ!)。廊下をドタドタと駆けるトントンと妹の微笑ましさ。それを睨みつける祖父の顔の凄さ。叔父の結婚式シーンは端的にその衣裳の場違いぶりが可笑しくも切ない(祝福を得られないまま始められた新生活にまつわる愚痴を真顔で子供にこぼしてしまうという、この叔父さんのキャラクタがまた面白いんですね)。

さて、えてしてよい映画というものは様々な角度から作品を見ることを積極的に観客に許すものだが、ここでは『冬冬の夏休み』は「眠り」の映画である、という云い方でもしてみよう。川遊びののちに牛を探しに行った少年は全裸に葉っぱ一枚を乗せた格好で道端で眠っている。トントンは手足を妙な形に折り曲げて畳にうつぶせになり、昼寝を邪魔するなとばかりに妹を邪険に扱う。強盗に襲われるのは、トラックを停めてあろうことか道路上で昼寝をしていた男である。これらが意味しているのはすなわち、『冬冬の夏休み』の中に生きる人々はどれほど不自然な場所や姿勢にあってもあっけなく眠りに落ちてしまうということだ。後半のシーンで、トントンと妹は母の容態を伝える電話を待とうとして、眠ることを拒否する。母を想うその健気なさまに私たちは感動を覚えるのだが、それは同時に「どれほど不自然な場所や姿勢にあってもあっけなく眠りに落ちてしまう」というこの映画における「睡眠」の原理への反抗ぶりの健気さでもある。さらに、このように睡眠を主題として語ってきた映画だからこそ、妹と白痴の心の通い合いの決定的描写たる「添い寝」がどうしようもなく私たちの心を揺さぶるのだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)irodori 寒山拾得[*] [*] ケネス ジェリー[*]

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