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[コメント] 野良犬(1949/日)

巷間云われるほど優れてよく暑気が撮られた映画だとは思わないが、雑木林がまるでジャングルのように撮られた三船敏郎木村功対峙シーンと踊り子の楽屋シーンの温度湿度は本物だ。また、三船のアクションの速度感に感心する。終盤までひたすら高め続けた焦燥と不安を爆発させるがごとき犯人追跡ダッシュ。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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しかし、物語が進むにつれて私の心は三船から離れていく。彼は志村喬が撃たれるに至ってもまだ事件に使われたのが自分の盗まれた拳銃か否かに拘泥している。拳銃の盗難事件が物語の導入として優れていること、また三船の行動の動機付けにはじゅうぶんであることは了解するけれども、そのときすでに観客の興味は犯人逮捕および犯人そのものに移行している(そのように作劇している)のだから、事件に使われたものが件のコルトかどうかなど観客にとってはもはやどうでもよいのだ。この三船にはプロフェッショナリズムが欠けている。もちろんそれは甘さを抱えた新人刑事にふさわしい造型であり、志村の登場が要請されるゆえんでもあるのだが、しかし結末部に至っても彼に成長らしい成長が見えないというのが面白くない。これは師弟のバディ・ムーヴィではなかったのか。師の志村は殉職ないし引退をし、弟子の三船はそのポジションを継承する(少なくとも、その端緒につく)。そうでなければ映画の収まりはつかない。弟子が必ずしも「加害者の立場を想像することを禁ずる」という師の教えに全肯定の立場を取れないのであれば、なおのこと彼は師を越える第三の道を模索せねばならない。それが「変化」であり「成長」であり、映画が「作中人物」と「上映時間」を使って描くべきことだ。冒頭部と結末部を比較して、果たしてこの三船にどれほどの変化や成長があったというのか。映画は皮肉にも一枚の表彰状という「形」を彼に与えて体裁を取り繕っているが。

(評価:★3)

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