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[コメント] グーグーだって猫である(2008/日)

「ねこ」の、ではなく「吉祥寺」の映画。とりあえずやりたいこと詰め込んでみました的&「町」の固有性を顕揚する態度はヌーヴェルヴァーグの諸作を連想させぬでもないが、素直に見れば空回りの感は否めない。『地下鉄のザジ』な追いかけっこであるとか。小泉今日子はすばらしい。
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人間は決してねこを飼うことなどできない。飼わせていただく、お世話させていただく。あるいはむしろ、ねこが人間を飼うのであり、支配する。という感覚はねこ好きには理解していただけると思うが、思いのほかねこをフィーチュアしなかったこの映画が、たとえわずかではあってもその感覚を出せていたことは立派だ。映画はあらかじめ単線的な構造を放棄しているのだから、却ってもっと断片的エピソードのスケッチ的羅列に終始して、町およびその柔らかな支配者としてのねこをモザイク様に浮かび上がらせるくらいでもよかったと思う。また、ねこを使って思いどおりの画を撮影することの困難は想像に難くなく、大量のフィルムと時間の消費が余儀なくされたであろうこと、それが見かけの上でヌーヴェルヴァーグを意識したこの映画と実際のヌーヴェルヴァーグ作品の決定的に違う点のひとつでもある。

などと、ねこの映画ではないと云っておきながらつい的外れにもねこに関することばかり語ってしまうのはやっぱりグーグーがかわいいからで、彼がメスねこを追いかけるシーンの効果音はヌーヴェルヴァーグというよりもジャック・タチか。かわいい。しかし鳴き声はうちのねこのほうがかわいい。

(評価:★3)

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