[コメント] チェ 39歳 別れの手紙(2008/米=仏=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
とりあえずこれが「敗北」の物語であることに異論はないだろう。私なりに云い換えれば、「反復」を目指しつつそれを果たせなかった物語だ。ボリビアにおけるゲバラの活動とは、成功したキューバ革命戦争の反復たることを目指したものであり、『39歳別れの手紙』の物語とは『28歳の革命』の物語の反復たることを目指したものだ。しかしそれは失敗に終わる。つまり、反復たることを最後まで貫けない。映画はそこに明確かつ決定的な原因があるようには描いていない。小さな、しかし無数の要因が積み重なって、反復は緩やかにたゆまずに反復たることをやめてゆき、勝利は敗北にすりかえられてゆく。観客の立場から云えば、それは「こういう場面は既に前篇で見たぞ」という既視感が徐々に裏切られてゆく体験であるし、ゲバラの心情を推し計って云えば「あれ、こんなはずじゃなかったのに。キューバのときはもうちょっと違う感じだったのに」と思わせる出来事の連なりとしてある。あるいは、ここでのベニチオ・デル・トロが前篇とは異なってほとんど「エルネスト」とも「チェ」とも「ゲバラ」とも呼ばれずに、もっぱら変名の「ラモン/フェルナンド」として存在していることを鑑みれば、ボリビアはキューバの反復として振舞う資格をそもそも欠いていたとも云えるだろう。すなわち、あらかじめ定められた「敗北」に至る道を(まさに、杖をつきながら獣道を行くデル・トロの姿そのままに)緩慢な速度で歩みつづける物語。だから、物語は今にも感傷に押し潰されてしまいそうだ。ソダバーグはぶっきらぼうにシーンを断ち切って、「優しく」それを回避する。だがそのことはソダバーグが感傷を欠いた人間であることを意味しない。果たして感傷を欠いた人間が映画を円環として閉じてみせるだろうか。船上の若きゲバラを捉えたラストカットを、私たちは既に前篇において目にしている。その既視の記憶が、私たちの視覚を感傷で染め尽す。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。