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[コメント] チェンジリング(2008/米)

見るたびごとに感動が増す。トム・スターンの最高作であるのみならず、少なくとも二十一世紀最大の傑作。一点の迷いもない演出が複雑怪奇な物語を持った映画に澄み切った相貌を与えている。ヘンリー・バムステッドの不在を乗り越えて切り拓かれた映画の新地平。これこそが「映画」だ。「映画」とは『チェンジリング』だ。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画は思いもよらぬところで感動をもたらす。どうして私たちは物語の本筋とはほとんど関係のないはずの赤の「市電」にあれほど打ちのめされるのだろうか。それはおそらく、「決定的」だからだ。アンジェリーナ・ジョリーが市電に乗り遅れて並走するカットの、決定的な「手遅れ」の感覚。息子が行方不明になり他人と入れ替わるという梗概についての知識をまったく持たぬままに映画を見始めた観客であっても、このとき「何か」がもはや決定的に手遅れになってしまったのだと感知するだろう。この映画はそのような決定的な画面に満ちている。それは(ある種のショット主義とでも云えばよいのだろうか)「一葉のスチル写真としての完璧さ」とは異なり、あくまでも物語=時間との有機的な連関のうちに現われるものだ。すべての画面が物語に奉仕しつつ、物語を超えて躍動している。云い換えれば、まったく無駄がなく、同時にどこまでも過剰である。先の市電はもとより、ローラースケート、窓(ジョリーと息子の最後の別れは窓越しに演じられる。あるいは終盤、大量殺人事件から生還していた少年の供述をジョリーはガラス越しに聞く。ガラスは涙するジョリーの顔面の反射像を画面右側に映し出す!)、もしくはジョリーのすべての所作、デモ行進の人の群れ、養鶏場の遺体を掘り返す少年を垂直に見下ろす俯瞰、いや、それこそすべてのカットのすべての細部が、そうだ。それを人は「映画」と呼ぶ。

 エンドロールを見て少々驚いたのは、Visual EffectsやCG Artistsとしてクレジットされたスタッフの多さだ。いったいどのカットにそれほどコンピュータ処理が施されていたのだろう。本篇を見ている間は一瞬たりとも気にならなかったが、やはりロサンゼルスの町並みのカットなどだろうか。もはやイーストウッドはCGを使いこなすことにかけても世界一の映画監督なのだ。もちろん、そんなことは『スペース カウボーイ』の時点で私たちは知っていたはずなのだが。

(評価:★5)

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