コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] リミッツ・オブ・コントロール(2009/スペイン=米=日)

初めてジャームッシュの本当の本気を見た思いだ。絵画的に突き詰められた「ショット」の映画。ショットの映画を目指すなどということ自体が時代錯誤の振舞いなのだと批判する向きは当然あるだろう。しかし古典に学びつつ常に最新型の映画を提示しつづけてきたジャームッシュの選択を軽く見ることはできない。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジャームッシュのフィルモグラフィ上の比較から云えば、この映画の特異さは「クリストファー・ドイルによるスペイン・ロケーション撮影」という点に集約されるだろう。確かな技術を持ちながらその嗜好が必ずしも個々の作品に貢献してこなかった(という云い方が傲慢であれば、単純に私の趣味に合わなかった)ドイルを、ジャームッシュは見事に使いこなしてみせている。イザック・ド・バンコレの風体、美術館、バンコレの背景に高層建築物を置いた仰角カットなど画面の具体的水準におけるペドロ・コスタコロッサル・ユース』との親近性は明らかだが、まずはドイルが持ち込んだと思しき絵画的描写力とカメラの浮遊感、そしてジャームッシュ好みの正確なフィックスの相乗が画面を美しいサスペンスで漲らせていることに素直に驚いてみたい(ラストカットの揺れとブラックアウトには参った!)。

スペインでのロケーション撮影についてもまずはその豊饒さに目を奪われてしまうばかりなのだが、ここからはジャームッシュが次なるステージに上ったことも窺える。というのは、ジャームッシュは『ナイト・オン・ザ・プラネット』中の三篇を除いてアメリカを出たことがない作家だからだ。もちろん、自国以外を舞台にした映画を撮らずに生涯を終える映画監督など決して珍しくなく、むしろ圧倒的多数でさえあるだろうが、しかし「旅」と「異言語コミュニケーション」の作家ジャームッシュにおいてそれはいささか不自然な事態であったとも思える(その点で、まさに「アメリカ」を「ツアー」する映画である『イヤー・オブ・ザ・ホース』はジャームッシュの裏の代表作だと云えるでしょう)。ヴィム・ヴェンダースアキ・カウリスマキは異国を舞台に傑作を撮り上げてきたが、互いに刺激を与え合ってきただろう彼らとの差異をそこに認めることもできる(名指しこそしていませんが、ここでジョン・ハートは「数年前に見た美しいフィンランド映画」としてカウリスマキの『ラヴィ・ド・ボエーム』に触れています)。しかしジャームッシュは遂に『リミッツ・オブ・コントロール』においてアメリカを離れた。これは些細なことだろうか。いずれにせよ物語の水準からすれば「バンコレがスペイン国内をあちこち移動する映画」と云っても乱暴な要約とはならないこの作品において、ジャームッシュは新しい画面を獲得した。いつまでも持続させたいと思っても無理のない強い画面を従来のジャームッシュからすれば矢継ぎ早と云ってもよい間隔で割る、ときにはその繋ぎに確信的な違和感を潜ませる、コードネームを有した各作中人物の登場カット等を高速度撮影で捉える、といった諸々はジャームッシュの新生面であり、またこの物語が要請したものでもある。確かにここでのジャームッシュはかつてなく「ショット」に傾いているが、非生産的な自己満足しかもたらさない「悪しきショット至上主義」の陥穽には決して嵌っていない。

さらに、この映画における「車窓」は『ブロークン・フラワーズ』と比較しても更なる進化を遂げている。バンコレと工藤夕貴が向かい合う間に置かれた列車の窓、その外を流れるスクリーン・プロセスの風景の美しさ・不穏さはどうだろう。ロビー・ミュラーとのコンビ作における横移動撮影に顕著なようにジャームッシュはこれまでも「等速度・等方向に流れる風景」を好んできたが、ここで数々の車窓カットが見せる複雑で豊かなニュアンスは他に類を見ない。頻出する「階段」や全篇に氾濫するマクガフィンなども含めて、現在ヒッチコックを最も先鋭的に受け継いでいるのはジャームッシュだとさえ云いたくなる。

また、「携帯電話」の安直な使用が映画からどうしようもなくサスペンスを奪ってしまうと常々考えていた者として、バンコレの“No Mobiles”には実に愉快な思いをさせられる。敷衍して述べれば、“No Sex”および“No Guns”も観客の興味を惹くに簡便な方法である「ベッドシーン」や「銃撃戦」を禁欲するというジャームッシュの宣言ではないか(バンコレが出演していることや殺し屋という主人公の職業、特異なメッセージ伝達手段といった共通項を持ちつつ、一方は見事な銃撃戦演出を披露し、他方はそれを拒んでいる点など、『リミッツ・オブ・コントロール』はある程度まで『ゴースト・ドッグ』の裏返しであるという見方も可能でしょう)。もちろん、ジャームッシュは初期においてミニマリズムの人と目されていたように、銃撃戦やベッドシーンに限らず禁欲的な演出によって特徴づけられる作家でもあるが、ここに至ってより重要なのはむしろその画面のリッチな佇まいだろう。「映画」において正しい禁欲は貧しさではなく豊かさを導く。そのような禁欲と豊かさの関係において、私は『リミッツ・オブ・コントロール』が現時点でのジャームッシュの最高傑作であると信じる。

 以下ランダムに記す。主人公が複数の人物に順繰りに会っていくことがそのまま物語となり、その間の「移動」シーンが異様に充実しているという構成は『ブロークン・フラワーズ』と共通。「モレキュールが云々」など異なる人物間でいくつかのキイワードが反復される点は『コーヒー&シガレッツ』的。メインキャスト扱いはされていないけれども、ヒアム・アッバスガエル・ガルシア・ベルナルよりも重要で、存在感もある。ティルダ・スウィントンがマッチ箱のことを思い出した際の「オォ」の発声が可愛い。パス・デ・ラ・ウエルタの臀部の形状は奇跡的。ウェイターの青年オスカル・ハエナダもいい。何度目かの登場シーンでバンコレに云われずともエスプレッソ二杯を了解するところ。こんなハードボイルドに決めた映画でもこういう微笑ましい場面を用意するからジャームッシュは好き。

 以上のように私はこの映画にほとんど全肯定の立場を取るけれども、疑問点・不満点についても。スウィントンが口にする『断崖』『上海から来た女』や前述の『ラヴィ・ド・ボエーム』、あるいは、元来曲名ないし歌詞でありながら映画ファンとしては『紳士は金髪がお好き』と不即不離であるフレーズ“Diamonds Are a Girl's Best Friend”など、他の映画に対するここまで「露骨な」言及はむしろ従来のジャームッシュにはほとんど見られなかったものであり、「笑い」の後退さえも辞さずに「強さ」「豊かさ」「格好よさ」を獲得したこの映画に、そのようないかにもシネフィル的な振舞いは果たしてふさわしいものだったろうか。またビル・マーレイの殺害に「ギターの絃」を使うことをアジト侵入前に匂わせてしまったのも個人的には不満だ。マーレイが事切れる頃になってようやく「あのときに取り外していた弦を使ったのか」と観客が気づくぐらいの唐突な使用でもよかったと思う。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)赤い戦車[*] HW[*] 浅草12階の幽霊 ナム太郎[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。