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[コメント] 十三人の刺客(2010/日)

十三人の刺客』を名乗るこの映画に限ったことではないが、「数字」は残酷である。「十三人」とはむろん役所広司演じる島田新左衛門や松方弘樹演じる倉永左平太らを指すのだが、彼らに固有の「他の誰でもないその人」という具体的唯一性を数字は剥奪する。題名が既に「使い捨ての命」を指示/支持している。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







天願大介には映画の中に一種の社会批評というか「映画外」的な読みを促す要素を持ち込みたがるところがあり、ここにおいてはたとえば、物語が「広島・長崎への原爆投下から一〇〇年前」であるという設定の明示に露骨にそれはあらわれているが、三池崇史は娯楽映画の文法に則った語りからぶれることがない。真面目にやりさえすれば三池にとってこれくらいの作品をものにするのはわけのないことなのだ、と溜飲を下げた三池ファンは多かろうと思うが、私には少しばかり真面目すぎる作りである。演出家にもその自覚があったのか、伊勢谷友介岸部一徳の絡みを挿入するなど三池流の「ファン・サーヴィス」にも怠りがないのだが、『突風!ミニパト隊 アイキャッチ・ジャンクション』と『極道恐怖大劇場 牛頭』の作家に期待する笑いはこの程度のものではない。

娯楽映画に対する真面目な取り組み――平生であればそれは称揚されこそすれ批難される筋合いのものではまるでない。実際のところ私にしても大いに楽しんだのだけれども、この映画について何事か語ろうとするとむしろ要望や不満のほうが先に口をついて出てしまう。嗚呼なんたら業の深い観客であることか、私は。と嘆じてみせたところで詮無いのでもう少し具体的に記述すると、上に触れたように「笑い」が物足らないというのもあるけれども、まず小一時間にも及ぶ終盤のアクション・シークェンスはやはりテンションを維持できていないと思う。もちろん演出家を筆頭に全スタッフ・全キャストの総力戦のようにして撮られたこのシークェンスを見ておきながら彼らに敬意を抱かないでいることはできないのだが、殺陣そのものでカットを成立させられる技量を持った人材が松方しかいない以上、これではまだギミックが不足している。ここでギミックとは、「からくり仕掛けの柵」であり「炎を抱えた牛」であり「爆破」であり「高所からの弓矢攻撃による一方的ななぶり殺し」である。このような知略に富んで「卑怯な」戦法をもっともっと見たい。なんならそのまま圧勝してしまったって構わない。だから私は、役所が「小細工はこれで終わりだ!」か何か云って堂々と斬り合いを始めるとがっかりしてしまった。正攻法だけで小一時間を満たしうる演出力は残念ながら認められない。ゆえに、市村正親との一対一の戦いにおいて「泥」を用いるという役所の卑怯に私は手を叩いて喜びもした。

敵方にあって特記すべき存在が稲垣吾郎・市村・光石研しかいないというのもどうだろう。「十三人」の誰かと何かしらの因縁を持った強敵が幾人かいてもよかったのではないか。「その他大勢」ばかりでは戦闘の抽象化に拍車がかかる。もちろん尺の問題はあったに違いない。味方の十三人でさえ描き分けがまだ存分でないのに、これ以上キャラクタを増やしては上映時間は三時間を越えてしまうだろう。したがって、ここで参考になるのは『ペイルライダー』においてジョン・ラッセルが率いる七人組の保安官である。結局のところ彼らはその強さを披露する場面をほとんど持たぬままクリント・イーストウッドにぶちのめされるのだが、「やたら強いらしいという触れ込み」と「やたら強そうな顔・出で立ち」さえあれば上映時間を消費せずとも「強い敵」の造型は成立し、劇を盛り上げることができる。

ところで、つい『ペイルライダー』などと口を滑らせてしまったけれども、このような集団抗争時代劇のリメイクを見るに際しても、日本映画の熱心な観客でなかった私の胸に呼び起こされるのはやはり『特攻大作戦』などのアメリカ映画である。太平の世の退屈が生んだ怪物たる稲垣と「死にざま」によって規定される存在の侍たる役所らは、ともに生きる時代を誤った者のように描かれる。自身の行動の動機について役所は「天下万民のため」を強調するが、「侍としての死地を求めるため」ということも少なくとも同程度に重要であったことが匂わされている。それは山田孝之に最も顕著だろう。つまり『ワイルドバンチ』である。戦が決して後、魂が抜けたようにさまよい歩く山田を追ったロングテイク、彼の背後で「建造物の残骸が朽ち落ちる」などというのはそのタイミングも含め理が勝ちすぎた面もあるが、やはり私はこのカットを支持したい。映画は、この寂寥を撮ってこその映画だ。

 その他、山田と伊勢谷を必要以上に対として描くあたり(山田の情婦と伊勢谷の想い人をともに吹石一恵が演じるなど)も何か腑に落ちない謎めいたものを残して、却ってよかったと思います。

(評価:★4)

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