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[コメント] ザ・マスター(2012/米)

映画は劇中でフィリップ・シーモア・ホフマンが施す「プロセシング」に近似した構造を持っている。ひとまずそれは「螺旋階段的」と形容しておこう。顕著な前進を認め難い堂々巡りめいた反復に身を晒すうち、ホアキン・フェニックスは(そして私たちも)いつか知らず帰還不能点を踏み越えてしまっている。
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**ネタバレ注意**
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ポール・トーマス・アンダーソンはいよいよ精密に映画を統御している。百貨店での大立回りであるとか畑ダッシュであるとか便器の踏み砕きであるとか、面白く撮ろうとした箇所が面白く、企図しただろう通りの面白さで面白い。そのような類の映画が結局のところ演出家の想像力の域に行儀よく収まってしまいがちなところ、異物感の塊のようなフェニックスの起用によって映画の膨らみを確保するあたりも抜け目ない。

だから、少なくとも私にとっては、これはホアキン・フェニックスの映画だ。確かにアンダーソン演出の創造性、そしてフランシス・フォード・コッポラのカムバック三部作で全世界に実力をアッピールしたミハイ・マライメアJr.の古典をよく踏まえた撮影はいくつかの映画的瞬間を私たちに差し出してみせるが、その間隙には象徴を濫用して観客に「読解」を強いるアンダーソンの高踏的な態度が見え隠れする。それを補償してなお映画を牽引するのはフェニックスそのものの謎だ。

あるいはこういう云い方をしてみよう。『ザ・マスター』で切り取られた時間の以前または以後のホフマンを撮っても、おそらく大した映画は出来上がらないだろう。それに対して、フェニックスの従軍時代やホフマンとの決別以降を追い掛けたならば、やはり『ザ・マスター』程度に刺激的な映画が撮られうるのではないか。もちろんこれは妄想に過ぎないが、そのような妄想を許してくれるからこそ、これはフェニックスの映画である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH[*] ガリガリ博士 緑雨[*] けにろん[*]

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