[コメント] ゲット・アウト(2017/米)
物語の環境に似たところがあると云えばあるM・ナイト・シャマラン『ヴィジット』と較べると、作中人物とりわけ主人公の魅力が著しく劣る。翻って、シャマランの脚本・演出における最も大きな取り柄とは(どうも見過ごされがちだが)魅力的なキャラクタを創造する技術である、と云うこともできるだろう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画においてキャラクタを輝かせる真に幸福な伏線とは、『ヴィジット』から例を採るならば、主人公姉弟の弟エド・オクセンボールドによる「卑語を女性芸能人の名に置き換える」という宣言がそうだ。この心の底からどうでもよい馬鹿げた決めごとが、観客の誰もが忘れた頃合い、彼の生命に危機が迫っているさなか不意に果たされる。そのキャラクタを、延いてはその映画を愛さずにおれなくなるのはこういう瞬間だ。
さて、実のところ『ゲット・アウト』にも同様の好機が訪れていたのだが、ジョーダン・ピールはそれをむざむざ無下にしている。というのも終盤、邸宅から脱出しようと玄関扉に手を伸ばすダニエル・カルーヤと、その阻止を図るケイレブ・ランドリー・ジョーンズが取っ組み合いを演じるが、ここでカルーヤはまったく真っ当な方法(ストンピング)でジョーンズを殺害してしまう。呆れが宙返りをするとはこのことだろう。初対面時、スポーツ歴の有無や仔細について執拗に絡んでくるジョーンズに対し、カルーヤは不愉快を押し殺しながら「ジュードーの心得がある」旨を返答していた。両者の因縁に適切な決着をつけるためにも、頸部を絞めてくるジョーンズをカルーヤはジュードー技で撃退しなくてはならなかったはずだ。それが映画における「正しさ」だと私は解する。
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