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[コメント] ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト(2013/日)

一般的な商業映画とは大きく懸け離れた経緯・環境・目的で制作された映画のようだが、とまれ黒沢清の作家性はここでも剥き出しだ。『Seventh Code セブンス・コード』『散歩する侵略者』に連なる最新モード(女性による本格的な技斗シーンを持つシネスコ作品)が明かされた画期作でもある。
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映画制作を学ぶ学生がスタッフの多くを占めるにもかかわらず剥き出しにされた作家性とは、たとえば「再開発」という物語の背景もそうだが、丸尾知行安宅紀史らとともに確立してきた美術趣味に顕わだ。港湾が舞台となったのをよいことに嬉々として「倉庫」が撮られ、またどう見ても倉庫風の建築に少し手を加えただけで「オフィス」が捏造される。埠頭ロケも含め、(照明に見るべきところが乏しいのは否めないが)カメラ・ポジションに吟味の甲斐がある抜けのよい空間を多く創造・選択している。

「俳優が肉弾戦を演ずる」という狭義のアクション映画としてはこれが黒沢にとって初めての作品となるが、そもそもそのフィルモグラフィのほとんどは「動作の驚きを的確に撮り、繋げた」という真の意味でのアクション映画である。ここでも動作の迫真性を活かすべくカメラは常に被写体と適度な距離を保ち、カット割りは最小限に抑えられる。この方法では動作そのものを取り繕うことはできないため、演ずる俳優・スタントに負荷が増すと想像されるが、そのあたりはアクション監督を起用してケアを図っているのだろう(本作を含め、近年の黒沢作品は小池達朗川澄朋章がアクション監督/アクション・コーディネーター/スタント・コーディネーターを担っている)。「ジオラマ模型」「消火器」などの小道具・セット装飾を適宜有効に消費した演出も適切だ。

また、上記の格闘シーンに雪崩れ込んでいく原因が単なる「名札」であるというのもマクガフィンきわまりなく、割り切るべきところを割り切る作劇感覚はやはり気味が好い。もっとも、ひとまずは伏線というか、三田真央の身体能力と「名札」への執着の由縁がほのめかされていないわけでもない。それは中盤における唐突かつ珍妙な三田の独白で、以下長くなるが引用すると

「私は海で生まれました。海の底の深いところです。たぶん人間の誰も見たことがない世界でしょう。美しい場所でした。もちろんそこは闘いの世界でもあります。強いものは弱いものに容赦なく襲い掛かって、頭から丸呑みにします。弱いものは必至で抵抗しようと試みますが、最後にはすべてを理解して、納得して死んでいきます。強いものも同じです。今呑み込んだ相手がみるみる自分の血と肉となっていくのを理解して、生き残ったのは自分だと、納得するんです。闘いって本当はそういう風にお互いの理解と納得を交換する対等な行為のはずでした。でも、ここでは……」

また、これに後続する電話のシーンには、一聴するとただの「親元を離れて自活する娘と父の会話」のようでありながら、どうにも不自然なニュアンスが込められており、「お父さんからもらった名前大切にしてる」という台詞も聞かれる。これらを額面通りに受け取るならば「三田は海底人か何か(?)であり、ゆえに常人離れした戦闘力を持ち、父から与えられた(?)人間としての名前(?)を象徴する『名札』にも執着する」という解釈も一応は成り立つ。むろん、海底人というのはさすがに突飛すぎるので、上の独白には何らかの比喩を読むほうが妥当なのだろうが、いずれにせよ三田が『散歩する侵略者』における宇宙人恒松祐里と響き合う存在であることは確かだ。

 ところで、柄本佑の部下を演じ、顔も声も大杉漣めいた森下じんせいは、文献に拠れば黒沢も幾篇かで演出を担当した一九九三年の連続テレビドラマ『ワタナベ』の主演者です。それ以降黒沢作品への出演はなかったはずですので、どのような経緯で今回の配役に至ったのか興味を誘われます。過去の常連俳優を再び起用することに気兼ねがないのであれば、黒沢映画における洞口依子哀川翔をまた見てみたいものです。

(評価:★4)

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