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[コメント] 血を吸うカメラ(1960/英)

このカール・ベームには、フリッツ・ラング』のピーター・ローレアルフレッド・ヒッチコックフレンジー』のバリー・フォスターともどこかしら相通ずる顔相が認められる。これすなわち由緒正しき欧州産変態顔である。そこに憐みを誘う弱々しさが加わることで却って「主人公」の資格が保証される。
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「撮影=暴力」という等式が一枚の緩衝材も挟まずに直截的に展開され、ゆえに後世から見る限りでは、確かにこれは結果的にひとつのスタンダードを打ち立てたのだと了解される。最近の作で例を挙げれば、たとえば青山真治東京公園』で三浦春馬が取り憑かれたように小西真奈美を撮り続けるシーンは、「撮影=暴力」の等式が成立と不成立の間で揺れるさまにこそスリルを見出した『血を吸うカメラ』の発展形だと云うことも可能だろう。

また、もっぱら観客の立場から映画と接しているとしばしば忘れがちな事実、すなわち「カメラは音を録らない」ことが、怖れと哀しみを中心としたこの映画の感情を決定づけている(現在「製品」としてのビデオカメラには確かに録音機能が付属されていますが、それでもなおカメラ機構そのものは決して音を録りません)。凶行を撮影したフィルムをベームが夜な夜な映写する光景、その空間の無音が私たちを追い詰める。だからこそラストシーンでとある「録音テープ」が再生されるとき、私たちは切ない恐怖感に襲われるとともに「これで有声映画が完成した!」という奇妙に倒錯した到達感すらも覚えることだろう。

(評価:★4)

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