コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] アイアン・ジャイアント(1999/米)

カメラポジション・カメラワーク(に相当するもの)ともに適切で、カット割りも巧い。要するにアニメーションどうこうではなく単純に映画として水準が高いということなのだが、それ以上にこれは見事な「光」と「闇」の演出の映画として記憶されるべき作品だ。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、この映画の上映時間の半分近くを「夜」の場面が占めていたことに、私たちは素直に驚いてよい。ブラッド・バードは「闇(夜)」を描くことに執着している。この優秀な監督にとって、それは同時に「光」を描くことへの執着でもあるのだが、この映画が「光」と「闇」の映画であることは、ホーガース少年が初めてジャイアントに遭遇した「夜」の直後のシーンが映画上映の行われている教室のシーンだったという事実が端的に示している(ここで映画が上映されているということに説話的な必然性はまったくないのだ。また云うまでもなく「映画」とはスクリーン上の「光」のことであり、それゆえ原理的に「暗闇」の上映空間を必要とするもののことである)。またホーガースが夜のガレージで政府の役人マンズリーに尋問される場面、閉じられたガレージ内を覆う「闇」と、マンズリーがホーガースに向けるライトの「光」が生み出す強烈なコントラストを忘れられる者はいないはずだ。

終盤におけるジャイアントと軍隊の戦闘シーンが「段々と暮れてゆく空」即ち「光と闇の拮抗」という見事な時間表現で成り立っていることも見逃してはならない。この薄暮のイメージこそこの映画の白眉だろう。そして、ジャイアントが宇宙という完全な「闇」の空間に飛び出すことと、いつの間にか「夜」になっていた地上に爆発による「光」が降り注がれること、この二点が映画のクライマックスを形成するのは説話上の必然であると同時に「光」と「闇」にこだわった演出の上でも必然である。

この感動的な物語にとって、ジャイアントが生きていることを示唆するラストシーンは蛇足だと感じる者も多いだろう。しかし、転がってゆくネジを見てホーガースがジャイアントの生存を予感するとき、それが「夜」であったこと、そしてネジが「明滅」していたことを思えば、このシーンを蛇足と云い切ることはできまい。「光」と「闇」の演出の一貫性に対する感動は増しこそすれ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)Orpheus ジョー・チップ[*] ゑぎ

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。