[コメント] イングロリアス・バスターズ(2009/米=独)
ノルマンディー上陸が終わり第二次大戦終結も間近い、ナチ占領下にあるフランスで繰り広げられるこの物語。ブラッド・ピットが率いる「ナチ公虐殺集団」=イングロリアス・バスターズが展開する作戦と、かつて家族をユダヤ人狩りで皆殺しにされた少女の復讐劇が交錯する、もの悲しい話である。そこを笑いで不謹慎も交えながらまとめるところが、監督タランティーノの真骨頂であると、自分で描いた自画像を、自分で模写している様な作品だと言える。最早賞味期限の過ぎたことに気づいていない憐れさが漂う。
先に結論を言ってしまうと、「残念な作品」だ。監督の老いを如実に感じてしまう。
クリストフ・ヴァルツが演じるSSの将校がみなぎらせる緊迫感、ちょこっとだけ登場して笑いを取っていくマイク・マイヤーズ、イタリア人の振りをしながらもせいぜい「グラッチェ」くらいしか話せない上、ゴッド・ファーザーのマーロン・ブランドみたいな表情をずっとしているブラッド・ピットのお笑い演技、名前は知らないがゲシュタポの将校を演じた俳優などなど、登場人物も豪華で、俳優の演技も最高だし、美術に撮影に音響まで完璧と言えるほどの出来だ。
だがそれは見た目だけのことであって、内実はうら悲しい。
かつて私は初代の『宇宙戦艦ヤマト』を見て、「例え相手がガミラス人だからといって、何をしても許されるわけではない」ということを学んだ。はるか昔、1970年代のことだ。だが、欧米では相手がナチであれば、どんな残酷な扱いをしてもいいらしい。
しかし、ネオナチをけちょんけちょんにこき下ろした『ブルース・ブラザーズ』であっても、頭の皮なんて剥いだりしなかったのである。それと、ドイツ兵の全てがナチズムの手先だったわけでもなく、祖国のために闘う人々をいたずらに茶化して良いとは思われない。
そういう考え方自体が少々受け付けられない部分があることと、そもそも娯楽として扱って良い話題ではないと思っているので、非常に良くできた作品を目の前にしながら、食べようと思ったら腐ってました的な残念感を感じる。
さらに、タランティーノ監督は、「こういう話題を扱いながらも不謹慎とエンタテインメントの境界線を行ったり来たり出来るのが俺の真骨頂なんだよな」と思っているフシがあり、そのあたりに大いなるズレを感じる。彼に『パルプ・フィクション』の奇跡を期待するのはもうムリかも知れない。
蛇足だが、今回は選曲センスも非常に悪かったと思う。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (7 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。