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[コメント] 瞼の母(1962/日)

弟分の母親に字を書いてもらう序盤で既に涙腺が緩む。錦之助にもたれるように母親が被さり、字を書く。それをまず正面から、続いて横のバストへ。錦之助、老婆に目をやる。また正面へ戻り、次に、涙ぐむ弟分の妹と弟分のそれぞれのアップ。そして両脇に妹と弟分を置き、奥に綿之助と老婆という構図。錦之助の今だ見ぬ母親が明らかに投影されている、そのことをショットで語れてしまう加藤泰の力量はやはり素晴らしい。
赤い戦車

通常「泣き」の演技は、顔をしかめ叫ぶなどして役者が目立ちすぎ画面を殺してしまいがちでとても難しいのだが、木暮実千代との対面シーンでの中村錦之助の「泣き」演技はほとんどお手本と言ってもよいのではないか。それは勿論会話中に母親へ詰め寄ったり引き離されたりという動きが加わっているからでもあるが、一番は加藤泰の視点の置き方とカット繋ぎの妙が、「生き別れた母親との、ようやく実現した対面」にありがちな辛気臭さをいささかも発散させず、映画らしいダイナミックさで物語から想像できる以上の言語化できない感情的な何かを表現し続けているからだ。

近年の邦画では、人物が顔を大きくゆがめ、泣き、叫び、感情をご丁寧に逐一台詞で表現してしまう愚鈍さが蔓延しているが、それは元来人間が持ち合わせている虹色の複雑な感情を単純化し、たった一色にして読み取りやすく提示しているに過ぎない。果たして観客はそこまでしなければならないほど愚かなのであろうか?本作を観ればその答えも分かるというものだ。現代映画の作り手たちはもっと観客の自主性を尊重し、信頼すべきだと思う。

(評価:★4)

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