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[コメント] ザ・マスター(2012/米)

投票してくださった方には申し訳ないのだが、再度鑑賞し評価を改めた。ホアキン・フェニックスの被写体としての存在感は特筆に値するのだが・・・
赤い戦車

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







というのは、自分の中で映画を評価するポイントに最近重大な変化が起きたからである。

ホアキン・フェニックスは劇中何度もAnimal=獣と呼ばれるが、これはとどのつまり彼が法や規則に束縛されない自由人であることを意味する。これは一定の場所に留まらず、常にどこかへ移動し続ける者(荒野をバイクで走る場面が象徴的。また、彼はそもそも挙動自体が全く落ちついていない)として描かれていることでも裏付けられる。フェニックスの、まるで役者ビートたけしのように歪んだ顔の異様さ。現代アメリカ映画界において、ここまで強い存在感を持った役者は稀有であろう。

ただし、ラストの切り返しに関しては、前言撤回してダメだと思うようになった。というのは、あの場面でフェニックスはフィリップ・シーモア・ホフマンの元から離れる「決心」をするわけである。その「決心」の表現としてあのアップカットの切り返しは果たして適当なものであったのだろうか?少々心理(説明)的なアップになっていやしないだろうか?むしろ椅子から立ち上がり部屋を出ていく(ホフマンの元から離れる)「行動」を描くべきであったのではないか?(「映画は考えられるのではなく、知覚されるのだ。映画は人間の思想を与えるのではない。人間の行為ないし行動を与えてくれるのであって<中略>内的風景を再現しようとしてはならない。悦び、痛み、愛、憎しみは行為なのである。」メルロ=ポンティ『意味と無意味』より講演「映画と新しい心理学」抜粋要約)

以上の観点から私は本作の評価を160度ほど転回させることになった。投票してくださった方には重ね重ね申し訳ない。

・past(写真、故郷の女性など)に囚われた男がfuture(ラストのセックスが象徴?)に解放されるまで、という見方もできるだろうか。いやしかし変な意味ではなく、最後のセックスシーンには何か幸福感があった。

・フェニックスが「寝そべっている」カットも多かったように思う。ラストカットも確か浜辺で寝そべる姿であったし、その辺りはもう一度確認するべきかもしれない。

・前半部で顕著な、極度に浅い被写界深度は一体何なのだろうか。フェニックスとホフマン絡みのカットでしか表れないため、彼ら2人の特別性を強調しているとも考えられるが。しかしそれも後半部では特に目立たなくなる。

・第1カットの渦巻く海、引き込まれそうな青。畑を逃げるロングショット。デパートでの乱闘。牢屋で破壊される便器。フェニックスの面白さに引っ張られた画面が多いが、その点では充分楽しめた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)煽尼采 3819695[*]

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