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[コメント] アメリカン・スナイパー(2014/米)

冒頭からこれまでのイーストウッド作品に比べショット数が異様に多く※、観客を混乱させる。主人公や敵スナイパーの位置を明示することもせず、被狙撃者との距離関係も覚束ない。それは米本土とイラクとの距離感覚の無さの描写としても表れている。こうした「距離の廃棄」は藤井仁子の本作への批評(http://kobe-eiga.net/webspecial/review/2015/03/374/)が示す様に、主人公の伝説化を促すものなのかも知れぬ。しかしだ。
赤い戦車

**ネタバレ注意**
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こうした距離感覚の無さは、映画から活劇的要素としてのスリルとサスペンスを奪う両刃の剣でもあるわけだ。案の定、本作のアクションシーンは砂嵐のクライマックスも含め、とてもとてもつまらない。『目撃』での狙撃シーンの見事なサスペンスは何処へ消えてしまったのか。無論、イーストウッドも無策ではなく、シーツがはためく屋上で主人公の友人が狙撃される場面など、主人公がオープンスペースに出てくるシーンではオフスクリーンから敵の弾丸が飛来してくるかもしれない、という緊張感を植えつけることにある程度は成功しているが、それだけで持つほど映画は甘くない。

種々挿入される西部劇風のアイテムにしても、そうした考察や読み取りの面白さは否定しないが、イーストウッドの「面白さ」というのは断じてこの程度では無かったはずだ。同じく西部劇風のアイテムに溢れていた『グラン・トリノ』の面白さ、コワさ、ド迫力はそうしたモチーフから生じたのではなく、あくまでも「演出」からもたらされる部類のものであったはずだ。過去の監督作品を振り返り比較したとき、本作の出来では、さすがに御大も遂に呆けてしまったのではないかと危惧してしまうのだが・・・狙撃手を題材にした映画としては『ザ・シューター 極大射程』の方がより活劇的で私好みだ。

また、この映画のラスト(厳密に言えばラストではないが)は扉の影から見送る妻の視点で締め括られるわけだが、このショットは「ある種の映画の作法に倣えばラストとしてサマになるだろう」とでも言いたげな、とってつけたような傲慢さがあって、浮いてしまっている。挿入された瞬間「この映画は妻の視点の話だったのか?」と一瞬混乱してしまった。ああいう特定人物の視点で締めくくる場合は、終盤までにその人物の視点であることの納得性を整えておくべきではないか。これまで散々ブラッドリー・クーパーの主観視点で通してきたのだから、いきなり妻が前面に出てくることに対して不信感を覚えるのだ。これなら『007』のオープニングよろしく、主人公によるスコープの主観ショットを相手に向けたらバン!と撃たれて終わる方がまだ理に適っている。

※ ショット数が多いこと自体は私は肯定も否定もしない。ただ、統計学的にいえば、ショット数が多ければ多いほど、「各ショットで何を撮りたいのか」がどんどん不明瞭になっていく。要は「そのショット内の被写体がいつ何処で何をどのようにして行ったか」が的確なカメラ位置として撮られ把握できていればショット数が多くても肯定する(その成功例として『ボーン・スプレマシー』クライマックスのカーチェイスシーンを挙げたい)し、分からなければショット数が少なくても否定する、というのが私の立場。

(評価:★3)

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