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赤い戦車さんの人気コメント: 更新順(16/29)

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★4ポネット(1996/仏)「途中」のカットしかない。全体の空間を見せるショットは無く、カメラ位置も子供の身長に合わせられている。そして子供たちの行ったり来たりする、縦横無尽に動き回る動きを追いかけていくカメラ。「優しい映画」などというフレーズは、このように本当にずっと被写体に寄り添い続ける視点にのみ使われるべきであろう。思いがけぬ人物が現れる終盤は涙なしには見られない。ドワイヨンは圧倒的に素晴らしい。傑作。ゑぎ[投票(1)]
★3メイド・イン・U.S.A.(1966/仏)気の抜けたB級な味わいと60年代ゴダールの中でも秀でたポップな色彩感覚は妙に感興を呼び覚ます場面もあるにはあるが、まあぶっちゃけ盛り上がらずつまらん。後追いの人間からすると、共演してそうでしてないジャン・ピエール・レオーアンナ・カリーナの2ショットが眩しい。けにろん[投票(1)]
★4光る女(1987/日)終盤になるにつれて画面の力が失われていく弱さはあるが、武藤敬司秋吉満ちるの棒読み演技がメロドラマ的な高まりを逆に加速させている部分は確かにある。個人的には地下街の階段に座り込んで話している長回しでの、こちらを見ては通り過ぎて行く街人の表情が忘れられない。けにろん[投票(1)]
★3そこのみにて光輝く(2013/日)本作の会話シーンは多くの場合、話者同士が「座った」ままの状態、或いは「立った」ままの状態で進行するわけで動きが無くつまらない。 [review]まー, ゑぎ[投票(2)]
★5肉体の冠(1952/仏)全く逡巡しない(考え込まない、というより考えていたとしても考え込む素振りを見せない)人物たちのかっこよさよ!ビンタなど簡潔で乾いた運動の積み重ねが映画全体を躍動させ、クローズアップの照明もばっちり決まっていて美しい。殺伐とした描写の中に水辺での再会のようなルノワール的官能性を漲らせる場面まであるのだからたまらない。もう文句なしです。ゑぎ[投票(1)]
★4桜並木の満開の下に(2012/日)工場の再生≒人の再生へと収斂する作劇かと思いきや成瀬の『乱れ雲』へと終盤変化する。工場内の美しい照明他、浜辺での焚き火や東雲の斜光を浴びて走る臼田あさ美の姿、或いは雨に濡れ鈍く輝いた駅のホームと線路など、光の扱いは昨年の邦画でもベストだ。三浦貴大に機械の操作を習う臼田の眼差しの輝き。コート、2人乗りバイク。反復される差異に高橋洋の幻影表現。映画の作法を知っている手つきが心地よい。 [review]3819695[投票(1)]
★5フレンチ・カンカン(1955/仏)奥行きのある画面の中で別々の行動をとる人物たちを演出し、それらを的確に捉えていくカメラ。何という統率力。これも豊穣で多面的な「世界の美しさ」を見事に切り取っている作品だ。綺麗な姉ちゃんが踊り狂うクライマックスは文字通り百花繚乱。世界で最も盛り上がる映画は『静かなる男』か『カリフォルニア・ドールズ』かはたまた本作か。ゑぎ[投票(1)]
★4ファイヤーフォックス(1982/米)変装し、物陰や夜の闇と同化して姿を隠すイーストウッド。彼が戦闘機に向かって歩く姿に誰も目を向けないのは不気味でさえある。戦闘服とヘルメットは「黒」、そして空でも敵の目から見つからないよう隠密に飛行する。『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』に連なる「幽霊」の系譜・・・という見方は穿ち過ぎだろうか。ゑぎ[投票(1)]
★4ラッシュ プライドと友情(2013/米=独=英)ロン・ハワード・ホークスとでも言ってみたくなる、実にホークス的な断片構成。場面の途中から始めて途中で次の場面へと、オイシイところだけを抜き出して繋げました的な適当な作りではあるが、富士山麓でのレース直前に挿入されるニキとその妻の切り返しには泣いたね。レース場面も速度表現に複数の趣向を混ぜ込み、飽きさせない。セント[投票(1)]
★4オーソン・ウェルズのフェイク(1974/仏=イラン=独)別々の場所、別々の時間帯に撮られたショットが編集やオーバーラップを通して繋がれ、虚実を入り交ぜて進行されることで何が本当で何が嘘なのか、観客を撹乱してくる。オヤ・コダールの尻を眺める通行人のショット群でさえ、クレショフ効果のような「騙し」に思えてくる。虚構の映画ではなく、映画の虚構を暴く。全くもってこの作家の遺作に相応しいではないか。撮影も極めて美しい。けにろん[投票(1)]
★3ゼロ・グラビティ(2013/米)褒めたい部分もあるのだが、現段階では私は否定派に回りたいと思う。私が最初に疑問に思ったのは全170〜180ショット中第2ショットにおける客観→主観→客観という視点移動であり、これはゑぎさんの仰るとおり美しくない。主観と客観を同時に一画面内で表すか、或いはカットを分けた方がスマートだろう。これを含めブロックのミタメショットはどれもゲーム的に過ぎる。 [review]disjunctive, ゑぎ[投票(2)]
★3マイ・バック・ページ(2011/日)映画が進めば進むほど、梅山が器の小さいダメ人間であることが露呈していくわけだが、逆にそれを演ずる松山ケンイチは水を得た魚のように活き活きしていく。緑雨, worianne, うちわ[投票(3)]
★4エレニの旅(2004/ギリシャ=仏=伊)4.5。私も自分の好みから言えばこのアンゲロプロスが一番だ。幾度となく反復される水、衣装や翻るシーツ或いは煙として繰り返される白、ワルツと楽隊、そして何度も画面を横切る機関車。何らかの運動としてギリシャ史を呼び起こす<記憶>のイメージが画面内に盛り込まれていく。理由や意味を描くことなく、映画を展開していくその手腕に見入るが、やっぱり終盤で象徴性を前面に出して画面の快楽を損なってしまう。惜しい。セント[投票(1)]
★4ダイナマイトどんどん(1978/日)前半の仁侠映画パロは全然手を抜いておらず結構笑えるのだが、少々詰め込みすぎでかったるい。しかし迎えたクライマックス、菅原文太北大路欣也との数度の切り返しに血が滾り、藤岡琢也が「徹底的にやれ!」と宣言するに到って爆発的な盛り上がりをみせる。現実でも映画でもこんなおもろい野球の試合は観たことが無い。ぽんしゅう[投票(1)]
★4恐怖分子(1989/台湾=香港)傑作。全くこの銃声には心臓が飛び上がる。純粋に行動しか描かれていないが故に登場人物が次に何をするか全く予測できず、ひいては画面がどうなるかを固唾を呑んで見守るしかなくなるのだ。そしてその末にたどり着くクライマックスの衝撃。本来複雑怪奇な筈の世界の様相を一面的にではなく、多面的に捉えるための一つの解答。エドワード・ヤンはこの方法論を遺作に到る5本の中で研ぎ澄ましていくが、あまりに少なすぎる数だ。ゑぎ[投票(1)]
★4正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官(2008/米)それぞれの岐路で役者たちが見せる「無表情」に痺れさせられる。悲嘆、嗚咽、失望、放心、或いはさして気に留めていないのか。一元的な感情の押し付けではなく、無表情だからこそ観客は言葉に還元されない、複雑に入り混じった感情の奔流を感じ取ることができる。ウェイン・クラマーはどうやら想像以上に広い引き出しを持っているようだ。 [review]3819695[投票(1)]
★3いつかギラギラする日(1992/日)萩原健一多岐川裕美の言わずとも通じてる感じが思いのほか好ましく、男たちの欲望によって展開していく単純明快さがアクションを映えさせる・・・と、書きたいところだが荻野目慶子に関する演出はいくらなんでもダメだろう。「私を見て!」と叫ぶ彼女を原田芳雄が背中越しに目も向けず撃つのには笑ったが。けにろん[投票(1)]
★3ザ・マスター(2012/米)投票してくださった方には申し訳ないのだが、再度鑑賞し評価を改めた。ホアキン・フェニックスの被写体としての存在感は特筆に値するのだが・・・ [review]煽尼采, 3819695[投票(2)]
★4裸のキッス(1964/米)テープ、地球儀、女の子を抱き上げる男、縄跳びなどの回転運動の反復。ベートーヴェンの「運命」と病院を訪ねてきた男が扉を叩く仕草。全ては不可逆的に運命付けられていたのか。障害児たちの歌が絶望へと変貌する一方で、乳母車に唯一の希望が託される。『最前線物語』といい、フラーのアップショットの強度は特筆に値する。そして何の説明も意味も付随させず、日常の中に闇を巣食わせるコルテスの見事な撮影。ゑぎ, 3819695[投票(2)]
★4刑事マディガン(1968/米)ラッセル・メティの撮影は本作でも非常に美しい。警察署や映画館で尋問する場面など、カメラ位置が変わるごとに影の位置がずれている。それはミスでもなんでもなく、そのショットに最適な照明を当てるよう苦心している証拠であり、そこにもう一人の偉大なDS、サークとの共通点を認めることもできる。ゑぎ[投票(1)]