[コメント] 母なる証明(2009/韓国)
いや、間違いない。母親であるということは狂人だということだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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更年期の女性によるエキセントリックなダンスシーンで始まるこの映画は、最後までその奇妙さを進化させていくばかりだった。生きることそのものが放つ圧倒的な血なまぐささは、観るものの身体に染みつき、もはや永遠にぬぐい取れないと錯覚させられてしまうかのようだ。
いわば母親の異常な愛情を見せつけられるわけだが、この愛情は異常だとはいえ、ある程度一般的な現象であるともいえる。障害を持っていることは、その親子にとってハンデになることはない。むしろ、何もできないからこそ、子どもに注がれる愛情は乗数的に肥大化してしまうのだ。そして、その行き過ぎた愛情が、子どもをさらに無力にする。この循環は、日本の家庭でもよく見られる現象ではないだろうか。
気になったのは、“真犯人”に母親が面会するシーン。“真犯人”に母親がいないときき、涙する。この涙は、良心の呵責に耐えかね、苦悶の末に流された涙なのだろうか。どうも、そうは思えない。むしろ、神による救い声を聞いたときのような歓喜にふるえて流された涙だったのではないだろうか。なぜなら、自分と同じ思いをさせられる母親はいないとわかったのだから。
稲穂が揺れる僻地にも、貨幣経済の波が押し寄せる。結果として人々は合理性を強制させられる。しかし、それはついに達成されることはないだろう。母親が存在するかぎり。
その証拠に、母親は息子を殺さなかった。殺すべきだったのに。
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