コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ティファニーで朝食を(1961/米)

“ドール”としてのオードリーに演出の限界があり、哀愁のガールズファンタジーを抽出できず残念なSO-SO作品
junojuna

NY五番街を走ってくるイエロー・キャブ。オープニングのこのシーンだけで映画がにおい立つ格好の立ち上がりであった。多くの女性のあこがれである「ティファニー」というシンボルを、ガールズファンタジーの象徴として描くところにこの映画の肝はあったはず。その意味ではブレイク・エドワーズのおしゃれな劇空間デザインは、そのマンシーニの音楽とともに功は奏していた。また、オードリーの声色、コケティッシュな演技は、娼婦というキャラクターのつかみどころのなさを十分に体現しており、カポーティの小説を映画化するのにその微妙な映画上ご都合主義の許容度を広げてはいた。しかし、この物語が高級娼婦の人生を取り上げ、華やかに見える都会の暮らしの陰影を描くドラマであったとすれば、もう少し、肉体的でリアルな演出が欲しかった。オードリーの美しさは際立つが、主人公の人生の哀感がいまひとつ浮き彫りとならない物足りなさがある。これは往時の「ドール型映画」の限界であろう。ある種のプログラム・ピクチュアであるとして、ブレイク・エドワーズの映画センスは堪能できる。ラストシークウェンス、雨の中を走るタクシーから、飼っていたネコを街角に放つシーンで、オードリーが放つ「let's go!」の言葉にかかる深さはポエジーが佇む名セリフである。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 緑雨[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。