[コメント] キートンの結婚狂(1929/米)
終盤の海上シーンにキートンの矜持が表れているが、全体的にはシナリオの枷に窮屈なパフォーマンスがわびしくSO-SO
MGM第2作。前年の移籍の際に、最大のライバルであり盟友であったチャップリンから「やつら(MGM)はきっと君に喜劇の撮り方を教えようとするぜ、料理人が多すぎるとロクな料理はできないよ」と助言をうけつつも移籍を果たしてしまい、前作こそ微妙なテンションもストーリーの起伏、妙味を湛えたカメラワークなどで乗り切って見せたが、本作、ことに前半の件はキートンというキャラクターを操作しようとする見えざる介入が暗雲を呼んでいるという、キートン自身のコミックセンスとは程遠い緩慢なシネマツルギーによって象られた凡庸な作品に堕してしまった。確かに終盤に見られるキートン印と言っても良さそうな船上アクションはキートン映画と呼ぶに一興を添えたかも知れぬが、時すでに遅しである。監督エドワード・セジウィックとの相性は決して悪いものではなかったということであるが、やはり、キートンコミックが噴出するワールド感はキートン自身の手によるものでなければいけなかったのではないか。そう思わずにはいられないほどのわびしさが募るキートンサイレントの末期であった。
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