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[コメント] プリンセス トヨトミ(2011/日)

作品テーマはよくわかるのだが、それにつながるエピソードがあまりにも力不足。これならば中井貴一と堤真一の出演シーン数を逆にするべきだ。
kazooJTR

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あまりにも現実的でないシーン(大阪が誰もいなくなり一箇所に集中など)が多々あるが、設定上、やむを得ないと割り切った作り方をしている。その点には文句はいわない。

作品テーマである「父子の愛と信頼」というのはよくわかるのだが、それにつながるエピソードがあまりにも力不足。真田の息子が「女になりたかった」とか「学校でいじめられて」とかいうくだりは、どうでもいい話で、もっと核心につながるエピソードにするべき。なぜ「女になりたい」という設定にしたのか理解に苦しむ。 「王女」を守ることや父子の信頼関係について描いているならば、あまりにもわかりにくいし不明瞭。このテーマにするならば、中井貴一堤真一の出演シーン数を逆にすべきだ。冒頭20分は全て親子の話でいい。

いきなり岡田将生も「実は…」とか言い出して、意味不明。 もうその頃には観客はそんな展開を期待していない。岡田将生が寝返る(正確に言うと寝返ってはいないのだけれど)にも必然性にかける。 伏線を張るのはいいが、結局回収しきれていないのもいかがなものか。

ヤクザの息子がいじめているシーンや、「王女」の登場しているシーンなんかはどこか古臭いし青臭い。この映画では、それがかえって違和感となっていた。 わざとこういう撮り方をしたのだろうか。

以上のように、大阪国民でなければ絶対楽しめない、大阪国民でも楽しめない。 (かくいう私も大阪国民であるが)。

唯一、江守徹扮する学者の「歴史は信じられるものばかりでなく〜」という言葉に共感。

確かに上で書いたようなことは原作ではうまくまとまってるのかもしれない。「女でありたい」という設定も必要であるのかもしれない。 ただ他の批評でも書いたが、観客は映画を見に来ているのだ。 その映画の中で伝えることが出来なければ、その映画は失敗作以外の何者でもない。この原作がどのようなものであるかどうかは未読のためわからないが。

(評価:★2)

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