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[コメント] ノルウェイの森(2010/日)

想像し得る限り、最低の結果。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本当に不親切というか、観客に対する配慮に欠けた映画である。そもそも、原作を読んでいない人にストーリーが理解できたのか、甚だ疑問だ。なにせ、監督が原作のエッセンスを自分好みに映像化しただけのイメージビデオなので、ストーリーが飛び飛びなのである。僕は原作を10回は読み込んでいるのでトラン・アン・ユン監督が何を意図してそれぞれのシーンを組み立てているのか判らないではないが、それにしたって首を傾げざるを得ない描写の連続である。登場人物がなぜそのような行動に至るかの説明をがっさりと省いているために、観客はその前後のシーンから想像力をフル稼働させて状況を推察しなくてはならない。めちゃくちゃ疲れるし、話についていけないので集中力がどんどん削がれる。

たとえば、主人公のワタナベと永沢とハツミがレストランで食事をしているシーン。 ワタナベにハツミから「今度女の子を紹介するわよ」と持ちかけられて、「うちの学食の定食はA120円B100円C80円です。そんな僕がその娘と釣り合うと思いますか?」という珠玉のやりとりがある。村上春樹作品には、こういった種のユーモアが散見する。

そこにおいて大事なことは、ワタナベの発言の前にハツミが「(お金持ちに見えて)私たち普通(庶民)よ」という前置きももとに、当時の学生として“普通ではない”金銭感覚を披露して、ワタナベを辟易とさせているという状況である。そういった前提があるからこそ、「そんな僕と釣り合うと思いますか?」というセリフが皮肉として活きてくるわけで、その前提を劇中で触れていないがために、この二人の軽妙な会話が観客にはまったく意味の通じないシーンになり下がってしまっている。

また、その食事のシーンから、ワタナベとハツミが二人でタクシーに乗っているシーンに急にカットが飛ぶのだが、原作を知らない観客にはなぜこの二人がタクシーに一緒に乗っているのか皆目判らないだろう。普通に考えれば、食事が終わった後は彼氏である永沢とハツミが一緒のタクシーに乗るはずである。これも映画の中ではまったく説明がなされていないため、原作を知らない観客からすれば、食事の直後からタクシーに乗り合わせる前までの出来ごとを推察するしかないのである。(ちなみに原作では、永沢の心ない発言に怒ったハツミが「ワタナベくんに送ってもらうわ」と伝えるシーンが書かれている)

また、本作についてはそのミスキャストぶりも耐えがたいものがあった。原作では、冒頭で主人公ワタナベがモノローグするように、“生”と“死”が作品のテーマとなっている。ワタナベを囲む二人の女性がその最たるメタファーとして存在し、直子は“死”を、緑は“生”の象徴として描かれている。しかし!菊池凛子がせり出し過ぎ、肉体感ありすぎ、目力無駄に強すぎ、で本来直子が有するべきか弱さや存在の儚さを破壊し尽くしている。「自分で役を志願した」という菊池凛子は渋るトラン監督にゴリ押しで直子役をゲットしたそうだが、その意気込みがそのまま演技にめり込んでしまっている。はっきり言って、「ワタナベくん、こんな自分勝手でヒステリーな女とは、今すぐ別れたまえ」という気持ちになってくる。

あと、演出だがなんだか知らないが、緑役の水原希子のセリフが幾らなんでも棒読み過ぎる。緑は“生”の象徴なので、原作中ではもっと活き活きとした言動をとっているのだが、本作では直子よりもボソボソしゃべっていて、表情の変化に乏しい。最悪。

そもそも、村上春樹作品を映像化する際に一番気をつけなくてはならない点はその独特の会話のテンポと言葉使いである。「やれやれ」「もちろん」に代表される、およそ日常生活で我々が使用しない言語が頻出する村上作品の会話をそのまま映画という現実を表象する表現方法に置き換えると、不自然さが丸だしになっていまう。そのため、映像化に際しては、一定の工夫が必要になってくる。

例えば同じく村上作品を映像化した『トニー滝谷』では、市川準監督は不自然なセリフを極力排除し、静謐な映像、物憂げな音楽、キャストの仕草でその世界観の表象に挑み、一定の成功を収めている。余談だが、音楽を担当していたのは坂本龍一。さすが、いい仕事をしている。本作では『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で巧みな造形をみせたジョニー・グリーンウッドが音楽を担当したが、残念ながら『ゼア〜』の自己模倣でしかなく、人間の感情をかき乱す独特の音色は、はたして本作の世界観を表象しうるものであったかは疑わしい。

ラストシーンの改悪については、まさに極刑ものである。レイコさんがワタナベの部屋を訪れるシークエンス。彼女の提案のもと、ふたりはセックスをするわけだが(これは原作通り)それは決してレイコさんが自らの自浄作用を狙った利己的な行為ではなくて、直子という失われた魂へのレクイエムを想起させるものであった。少なくとも、レイコさんとワタナベは、自分たちだけのためにセックスをしたわけでは間違いなく、ない。しかしながら、本作で一番なまめかしいセックスをかました後、レイコさんはワタナベに「おかげで救われたわ」と自分自身の救済がこの行為の目的であったことを明かす。直子というかけがえのない命が潰えたまさにその後で、このおばちゃんはいい気なもんである。余談だが、原作ではレイコさんは過去の事件のせいで、顔から体にいたるまで全身皺だらけの女だったが、本作の女優さんはかなりなまめかしい体をしている。これなら、はっきりいって菊池凛子とヤルよりも余程このおばちゃんとしたいものである。ちゃんちゃん。

村上春樹を口説き落とした、その功績は買うが、 長き年月を費やした結果がこれでは原作ファンもシネフィルも浮かばれない。 映画としては0点。『ノルウェイの森』の映画化企画としては、マイナス100点である。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)トシ pinkmoon[*] kirua chokobo[*] うさぎジャンプ 24[*] 青山実花[*] Orpheus ExproZombiCreator

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