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[コメント] 八日目の蝉(2011/日)

前作『孤高のメス』で「いま最も信頼できる映画監督」の一人に名乗りを上げた成島出監督の最新作であり、巷での評判も上々ということで観賞。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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孤高のメス』で何よりも感銘を受けたのは、兎角スリリングな描写に走りがちな医療ドラマにおいて、最もエキサイティングに映しやすい手術シーンを、定点カメラによる撮影と緻密な編集で描きぬいたこと。そして、その映像表現自体が単に職人芸ということに留まらず、堤真一演じる誠実なる医師の人間性と高度なオペ技術を説明する最も雄弁な手法であったこと。表現と対象がぴったりとマッチングしていて、秀逸な作品に仕上がっていたと今思い出しても感服。

さて、一方本作では、相変わら役者原理主義な定点カメラを用いながらも、随所に手持ちカメラとクレーンと台車を活かしたドリーなどを多用し、登場人物の心情に寄り添った映像表現を試みている。そして、それに見事成功している。

たとえば、OPの裁判シーン。二人の“女”の表情を真正面から定点カメラで捉えている。互いに確固たる見解をその場に持ち合わせていることが観て取れる。あるいは、子をさらった永作博美が友人宅に駆け込んだシーンを例に引いてもいいであろう。一見落ち着いてしっかりした発言をしている永作を捉えるカメラがこれでもかとぐらんぐらんに揺れている。観客は圧迫感を感じる。不安にもなるだろう。しかし、それこそがこのシーンで表現されるべき事象であり、スクリーンに映し出される永作の心情である。

これらは非常にクラシックな映像表現技法だとは思うけれど、いま、これだけ真摯に、かつ堅実にこの手の表現で作品を紡げる監督は稀少なのではないだろうか。まず、この一点でもって、成島出監督は「信頼できる映画監督」に足る人物なのである。

いや、まだある。この人はとにかく演出が巧い。映画監督の演出技能は“子役”の演技ぶりに表象するとはよく言われるが、いま子役の演出をさせたら成島監督の右に出るものは世界(は言い過ぎか…少なくとも日本国内)を見渡してもそうはいないのではないだろうか。

永作が不倫相手宅に侵入し、赤ん坊と対面する冒頭のシーン。あの時の赤ん坊の表情の奇跡的な愛らしさ!いったい何時間フィルムを回したら、あのような天使の表情を捉えることができるのか。その後にでてくる子役たちも、いわゆる天才子役のようなこれみよがしな演技ではなく、あの年代特有の「何をやらされているかよく判らないけれど、感覚的に母親を求める気持ちを本能で表現している」類の演技を発揮している。一体どうすればこれだけのポテンシャルを引き出せるのか。

また、永作と井上の時空を超えたシンクロニシティも心憎いばかりの伏線である。坂道で自転車を乗るとき両足をあげる癖、子供への愛情表現の言葉。覚えていないはずなのに、どこかよく似ている二人。本作ではこういった心配りが随所に散見する。(※ちなみに『冬の小鳥』をみて確信したが、親子のチャリ2ケツ坂道シーンは最強の催涙弾である)

本作のテーマは「女とは何か」「母とは何か」そして「母子の繋がりを証明するものは何か」ということである。それは劇中の登場人物たちが何度も問いかけてくる命題だ(たとえば余貴美子演じるエンゼルさんの台詞が最も象徴的)。

本作はその困難な命題に対して、ラストにとびっきりの答えを用意している。映画のラストシーン、井上真央はこう言うだろう。「私、顔もみたことないのに、この子のこと、好きだ!」。そう、愛する者を見つけたその瞬間、女は無条件に女に成り得るのだ。女は大地、男は種蒔く人。しがない男である僕は、この結論に屈服するほかない。

(評価:★4)

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