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DSCHさんのコメント: 更新順

★5風の谷のナウシカ(1984/日)ウチでは何かが腐ると「腐ってやがる・・・早すぎたんだ」「焼き払え!」と口にするのが習わしになっている。余談はさておき、口にすれば分かるが、前者は実に変な台詞なのだ。しかし、優れたSFには必ず、その世界でのみ圧倒的なリアルを発散する台詞が登場する。これだけの世界観の充実に神業的演出をかぶされると、マジで漏れちゃう。 [review][投票(3)]
★5エイリアン2(1986/米)「エイリアン」という生命体を鏡として、等価的に人間の強さが描かれた。エイリアンと人間の「接近」は、『T2』で機械とヒトの接近が描かれた時と同じく、熱さとともに不気味さと悲しさも伴う。人間の怪物性を通じて善悪の相対化の領域にさえ言及するが、それでもなお、あくまでも「燃える映画」に持って行くセンスがやっぱり最高。赤く熱い血の流れる映画。 [review][投票(5)]
★4スコルピオンの恋まじない(2001/米=独)「40年代前半の米国」の暗鬱は軽々かわされ、懐古的様式美だけが抽出される。その真摯な不謹慎。ハントのとろける目つき、「お色気ムンムン」という死語を地で行くセロンの確信犯に涎。「弁解王」アレンのお家芸は冴え渡り、「梯子を登る」だけで面白いという境地もつくづくズルい。おじさん連のアホ面や抑制されたエイクロイドもハマり、花火と劇伴の可愛さには思わず頬が緩む。いいよ。 [review][投票(1)]
★4チャップリンの 黄金狂時代(1925/米)肝のロマンスは丸きり童貞コントだが、だからこそのきっつい哀切さが「寒さ」の中で胸を締め上げる。また、「食欲」のグロテスクなど、チャップリンの真顔ボケ(無痛・無感覚)は時に狂気的なレベルに至り、目が離せない。尾行する熊のきぐるみのおとぼけ佇まい等愛せる要素多数で、コッペパンダンスは劣悪なモノクロ画像の中でこそ輝いている。 [review][投票(2)]
★3ピストルオペラ(2001/日)人間的な戦いのエンタメが「絵あそび」にすりかえられている。「百目」「ギルド」等の用語からは、監視の偏在とか顔の見えない不条理な組織システムの暴力、催眠作用との戦いが予感され、その辺は脚本の伊藤和典押井守組)のセンスが残されるものの、奇矯な絵づくり以外に無関心な清順の子ども騙しなオチでお茶を濁される。これでは伊藤さんが可哀想である。清順の「遊び」は、愛嬌、ではなくて、不真面目。 [review][投票(1)]
★5ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!(1993/英)無言のペンギンの所作の充実が凄まじく、隅々まで伝説の悪党感が漂う。この無言に対峙するアクション探偵グルミットの無言にも歴戦の猛者感があり、さながら無言のプロ同士の戦いの様相を呈している。もっとも、手練れかどうかなんて「漂わせる」だけでほとんど説明してないのがミソ。「雄弁な無言」の追求の最高峰の一つだろう。めちゃくちゃ面白い。(末尾は1歳半の娘と本作に関する余談等です) [review][投票(2)]
★4ブラック・サンデー(1977/米)原作と監督のスタンスの匙加減がいいのだろう。『ミュンヘン』で感じたような致命的違和感がここにはなかった。大義を巡る要点は整理されて過不足ない。素っ気ないタイトルバックやお偉いさんがぶつぶつ呟く会議、襲撃シーンのドライさ。一方で、隠しても隠しきれないウエットさが滲むテロ首謀者二名の造形。安易に形容しがたい「特殊」な 結びつき。滲ませない演出、滲んじゃう部分双方に惹かれる。「音」への気配りも◎。[投票(3)]
★3太陽を盗んだ男(1979/日)破裂することを恐れずに繰り返し膨らます風船ガム。反復の予感が喪失された今、有り得ん、いやあ元気だわすげえわファンタジーだわと思う。真にバカげたテロリズムは「闇」から来るのではない。沢田の風貌の明るさも正解だろう。所謂「深淵」って、光で満ちてるのかもしれない。改めて「元気」って邪悪だ、と思った・・・とネタはいいが演出は賞味期限切れのダサさ。 [review][投票(1)]
★3マイ・バック・ページ(2011/日)格好付けと暴力衝動に大義の言い訳の上塗りを重ねること。偏執的自己正当化を背後から襲う冷水のような後ろめたさ。安田陥落は冬だが、貫かれる季節感は夏の終わり(正しい)。ユメの跡の草いきれと蒸し暑さから、極寒の浅間へ。殆どこの「リアル」を「ファンタジー」としてしか受け止められない世代だが、普遍的な情感を提示したと思う。山下監督にしては悪意と慈しみの配合が後者に偏向してつらいが。[投票(1)]
★3ショーン・オブ・ザ・デッド(2004/英)ロメロ版を観ないと確信を持って言えないのだけど、「zから始まるアレ」と頑なに"zombie"の呼称を避けるのは、ロメロへの敬意と共に"living dead"という呼称が醸すイメージを重視するからだろう。「蘇った死体」、ではなく「死んだように生きる生者」。だからアポカリプス以前も以後も、世界はさほど変わらない。このコンセプトを踏まえた諧謔的な開幕と終幕は傑作。 [review][投票(1)]
★2戦争のはらわた(1977/独=英)時計じかけのオレンジ』の「矯正(強制)映画」みたいなアルトラ全開の開幕、綺麗事を排した反骨には感じ入るが、演出と僕の嗜好の相性の悪さを決定的に思い知らされた。何が起こっているのか分からない。国家×個人×大義×敵味方の概念が交差し破壊され相対化された地点のカオスの物語だから、誰が誰を撃ってるのか分からないのは演出上正しいのだと歯を食いしばって肯定しようとしたが駄目だった。混沌にも作法が必要では。 [review][投票(2)]
★5ファーゴ(1996/米)例えば、本来ならタトゥーロを配する場所にストーメアを置くこと。そして、究極的な悲哀の固まり=メイシーを軸に据えて笑いを拒むドン引き感。ブシェミを巡る描写も針が振り切れている。雪の白に血の赤がにじみ、暴力と非日常の世界への侵食を示唆する。「滑稽さ」も凍り付く寒さに、マクドーマンドは頑なに「日常的」であることによって対峙する。『ノーカントリー』の時代にもう一度思い出すべき作品。 [review][投票(4)]
★5赤ちゃん泥棒(1987/米)不可逆性の無常と滑稽を語り続けるコーエンは、象徴的なショットを必ず挿入する。多くが滑稽かつ陰惨な風景(宙を飛ぶ車、死体、流血etc)。が、ここでは「(さらった)赤ちゃんがかわいくて離せなくなっちゃった」と喜びと当惑で半ベソのホリーと、不安な変てこ顔のケイジそして赤ちゃんのスリーショット。嘲笑的でも僅かに優しいのが常だが、これは優しさ全開。「頑張れ」と言っている。まずここで涙が出る。 [review][投票(1)]
★4レイダース 失われた聖櫃〈アーク〉(1981/米)何気にコードスレスレ(いや、引っ掛かってるか?)な描写、「冒険」を免罪符としたスピルバーグの無邪気な邪悪さに冷や冷やするこのシリーズ。本作も例外ではないが、これはいいバランス。脂の乗ったフォードのオーラは、笑顔、足の遅さなど、「愛嬌」が他の追随を許さない。この、無敵じゃない感が重要。あとカレン・アレンが不思議な程可愛い。この二人が映えるシーンを眺めるだけの幸せ。 [review][投票(1)]
★4マネー・ピット(1986/米)「破壊と修復こそ映画」なんて陳腐な物語論だが、基本をシンプルに貫く姿が崇高なのは確か。いいじゃんいいじゃんと思う。製作者という立場だが、破壊王スピルバーグの特質が邪悪な方面ではなく喜劇に昇華している少ない例。キッチンのピタゴラスイッチ的大崩壊のカット割り・カメラ・音響・ハンクスをはじめ、「間」がハイレベル。ハイドンの「驚愕」、空飛ぶ鶏肉を捉えるゴードン・ウィリスの撮影など、笑い所多数。[投票(1)]
★2ユメ十夜(2006/日)噴飯物。淡々と、かつ透徹した漱石の筆致から滲む静かでも強い死のにおい、妖気や美しさやおかしみの、再現も脱構築も為し得ていない。「裏切り」のセンスが途方もなく悪い上、ごく単純に、映画として「心」が死んでいる。何がやりたいんだ。 [review][投票(1)]
★4永遠〈とわ〉に美しく(1992/米)人の営為に何の意味もないと断じ、犬も食わない痴話喧嘩描写の徹底に駄目押しで「永遠の戦い」の概念をプラスする意地悪さはコーエンをも凌駕する悪意。が、無常や達観よりもB級なバカ騒ぎに徹する潔さが愉快。医師ポラックのリアクション演技が傑作。ゴールディメリルは意外とか無駄ではなくむしろ役者冥利に尽きるのではなかろうか。とっても楽しそう。 [review][投票(1)]
★3ゴーストバスターズ(1984/米)アルミ箔を貼り付けたみたいなガジェットや下らなすぎる下ネタ(門と鍵)、「度を超した災厄は冗談の形をとって現れる」という正鵠を射た展開など、イカした要素はあるし、無二の郷愁を感じさせることは間違いない。ただ、これが『サタデーナイトライブ』常連かと目を疑う程ライトマン演出に毒抜きされたマーレイエイクロイドが哀しい。テンポも悪い。やはりベルーシの破壊力が必要な作品だったのではないか。[投票(1)]
★5パルプ・フィクション(1994/米)キャラを状況に放り込んだらどうなるかという純粋興味が最高の果実を結んでいる。サミュエルの圧倒的滑舌を筆頭に、会話劇のテンポは最早ミュージカル。サリー・メンケの編集も流石。戦禍をくぐった時計を巡る「英雄的」挿話を与太話(コーエン的な無常もない、単なる与太話)に変換する逆説的な真摯さや、駒と時制を統制して「我こそは神」と叫んでしまうあたりも、やっぱりタラちゃんカワイイわ、と思う。 [review][投票(3)]
★5ハッシュ!(2001/日)「なんで、絶対、なんて言えるんだよ・・・!」と田辺誠一が絞り出すように発する言葉で思い出したのは、「あなたはすぐに絶対などと言う。私は、すごくそれを嫌がるの」という椎名林檎の歌だった。奇しくも制作年は2000年〜2001年、価値の混沌、ゼロ年代の始まりに符号していた。当時18歳で、以来、絶えず「絶対」という概念に「違和感」を感じて生きている僕には、この二つの作品は永遠に福音である。 [review][投票(1)]