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DSCHさんのコメント: 更新順

★4ゾンビランド(2009/米)ゾンビに思い入れのない人間が観るな、とお叱りを受けそうだが、そんな私がわざわざ観て興味を引かれるのは、この明るい終末感。明るいのは「別に終わってなんかいない、むしろ既に終わってた」からである。ギャグめいた滅亡を眼前にしながら「遊び続ける」という中盤の病的な画でも喜ばせてくれるが、その自棄はついに「はじまり」への希望を凌駕しない。「今ここ」を理想郷にする。ベタでも嘘でも、縋るしかないのである。 [review][投票(2)]
★496時間(2008/仏)荒れ狂うプロ、毒を以て毒を制す。暴力という毒への疑義抜きに毒を語るのは今時野蛮か無自覚と思うが、そのへん眼中に一回入れた上でぶっ飛ばしている感がある。銃口を外道に向けるニーソンの落ちくぼんで昏い眼窩などの一匙演出が的確。昨今、正義の暴力をエンタメに仕上げる難しさを思うと、なかなかに困難な「快感と倫理」のバランス上でつま先立ちするスリル感を覚える。ニーソンという人選はその印象の絶対条件。 [review][投票(3)]
★3僕らのミライへ逆回転(2008/米)ジョン・ベルーシもどきなブラックの破壊力が半端で、モス・デフグローバーらの素朴な好演とのバランスが悪い。性善説に立ちすぎて、無理設定が遂にはファンタジーに変質していて悲しい。これをファンタジーにされたら悲しいじゃないか。しかし、下手っぴだろうが安かろうが、映画に限らずとも、「創ること」に飢える人々の心の琴線に触れるものは必ずあると思う。変な涙が出る。 [review][投票(1)]
★4ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い(2009/米)「後出しじゃんけん的設定」が可能にする「状況」のつるべ撃ちの面白さ。時系列で翻弄されてもちいとも面白くないはずだ。「呑んじゃった」後だから良い。少なくとも鉄板ネタを一回捻る志の高さが嬉しい。大騒ぎすべき水準ではないし、懐疑的な輩をねじ伏せる腕力はないと思うけど、徹頭徹尾阿呆でありながらギリギリ悪ノリせず(ほぼ)必然の範囲で慎ましいという良心的なスタイルは素直に歓迎したい。 [review][投票(4)]
★4動物農場(1954/英)寓意のための物語なので、寓意をはみ出る驚きこそないものの、「共産主義の理想郷」崩壊メカニズムの解説の手際は鮮やかで目が離せない。カタストロフが約束された物語と知っていても、ディズニー真っ青の猛毒デフォルメの容赦なさや、暗殺や簒奪、選民、動員、虐殺といったモチーフの淡々と着実・整然とした挿入が、抜き差しならない緊張を醸成。そして歴史は繰り返す(繰り返してはならない)。 [review][投票(1)]
★4王様と鳥(1980/仏)暴政への揶揄は当然だが、「自由」を一面的に「善」と捉えず、その「可能性」に放り出される厳しさ(茫漠たる荒野)や、それを獲得するために振るわれた暴力へ向けた冷静な視線が心地よい。更に、大小・高低の演出と美術が素晴らしく、映画内世界の巨大な拡がりが、作品を寓意に縮こまることから救っている・・・が、能書き以前に、王のドッペルゲンガー登場以降の不条理で美しい悪夢的世界の魅惑に酔うべきだ。キレキレである。 [review][投票(1)]
★1アイ・アム・キューブリック!(2005/英=仏)わざわざ「キューブリック」の名を選んで騙り続けるという、無謀な嘘への妄執。しかも本物と似ても似つかぬ孤独な同性愛者。何がコンウェイをそこまで駆り立てるのか、どれほどの実存的危機が彼を襲ったのか、コンセプトがネタバレしてる時点で後半の興味はその微笑ましい狂気のルーツ一点に尽きると思う。だが、有名人崇拝を茶化す笑いに逃げるだけのだらしなさ、マルコヴィッチの変態演技への甘々な依存ぶりに嘆息。 [review][投票(1)]
★5八日目の蝉(2011/日)男性女性父母血縁という言葉の意味の瓦解を経て、「親」を再構築する小豆島シークエンス以降の「景色」が圧巻。父でありながら父であることが出来なかった男達と、母でありながら母であることが出来なかった女達。彼らが一様になし得ず、希和子がなし得たのは「子」に「景色=幸福な記憶をあたえる」ということ。その「ふつう」の決意の中において、全ての傷ついた女性だけでなく、男性も赦される。「聖なる景色」の映画。泣いた。 [review][投票(7)]
★2エンター・ザ・ボイド(2009/仏=独=伊)視界を同期する(される)こと=思考をジャックする(される)こと。映画を視る、または視せるという行為の意味に向けた、偏執的で暴力的な追求。軽率な恐怖演出の手垢に塗れてしまった「主観」の可能性を再開拓する「のぞき」の映画だが、視点制約と重力=生=くびきからの解放を共存させる映画表現は「設定の必然」の枠を超えず、更に全編にわたる上では自在なようでありながら息苦しい。 [review][投票(2)]
★5ファンタスティック Mr.FOX(2009/米=英)ファンタスティック・・・!(再見してレビュー改稿) [review][投票(4)]
★3スプライス(2009/カナダ=仏)「パパとママのゲスな物語」に注目して観れば、良く出来ている。ナタリの『奇子』、みたいな喩えも出来ないではないし、『エイリアン4』の仇をさりげなく討つ。タブロイド紙的痴話喧嘩が生命倫理に絡むSFのフィルタを通して生々しく滑稽に映え、ヒトはヒトの在り様を問われる。やはりヒトとは奇怪な動物なのだ。しかしポーリーの「眉間に皺演技」が安く、ジャンル映画に堕した終盤が噴飯。 [review][投票(1)]
★5ビッグ・リボウスキ(1998/米)何故「ボウリング」なのか。いや、「ボウリング」でなければ語れない物語。「人間のコメディ」によって、「湾岸後」、「イラク」を予言した物語。怪作。 [review][投票(5)]
★3タロットカード殺人事件(2006/英=米)イヤミな映画である。ヤンヤと喝采を受ける手品師アレンが何度も宣う「あなたたちは本当にいい観客だ、素晴らしい、愛してる、ウソやハッタリなんかじゃない」(客席の静止ショットのいやらしさ!)という台詞は、明らかに同じく観衆である私たちに向けられた批判的毒だ。ウソやハッタリに決まってる、「俺の屍を越えてゆけ」って叫んでんだろコノヤロ。その意味でこの作品は『人生万歳!』よりも暗い遺言めいてこの目に映る。 [review][投票(1)]
★2ジャージの二人(2008/日)いわゆる「ユルさ」「逃避」が「生きにくさ」への果敢な挑戦の迂回的あらわれに変容して見える時、見た目と裏腹に凄絶な「世界」との戦いが現出する・・・風な好意的解釈を何の気なしを装って待っているのが見え見えでそれは別に悪くないのであるが、肝心の空気変換力に力がなくハッタリが放擲されるのみ。の面目躍如たる二面性の危うさと大楠の絶技が空中分解。 [review][投票(4)]
★4白いリボン(2009/独=オーストリア=仏=伊)「世界のこわれかた」。 [review][投票(3)]
★4人生万歳!(2009/米)厭世と屁理屈が周回して突き抜けた先が、既成価値の爆破とあっけらかんとした楽観。今や大して珍しくもない話で、それ自体がボリスに言わしめるクリシェ(陳腐な表現)であるような気もするし、ウッドの可愛さも異常とはいえ見慣れたミューズ造形の範疇だが、脚本封印から30年を経て敢えて「これでもか」と押してくるアレンの年季と提示タイミングに説得力。それこそ「クリシェ」的強度。音楽ネタが素晴らしい。 [review][投票(1)]
★4イースタン・プロミス(2007/英=カナダ=米)凶器に用いられるのは刃物のみである。「殺すこと」とは「血を断つこと」である、もしくは、「生かすこと」とは「血を続かせること」である、という「血(縁)」を巡る描写の徹底ぶりに感心。「断ち切るもの」としての「ナイフ」はその描写に正確に寄与している。 [review][投票(1)]
★5うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984/日)やはり傑作だろう。「夢」という名の共同幻想の中でまどろむ都市への疑義。押井の原風景。その夢は「ビューティフル」かもしれないが、醒めなければ実はまどろみの中で腐り果てるだけなのだ。「夢」とは甘やかで強い。この後ろ髪ひかれる甘酸っぱさは、「夢」を描いたものとして極めて正しい味付けであり、そして押井にとって最も優しい作品なのかもしれない。 [review][投票(5)]
★3シティ・オブ・ゴッド(2002/ブラジル=仏=米)虚無という言葉すら存在しない真性無感情の次元においてこそ本物の暴力が存在する。銃が「異物」ではなく日常に平然と納まる風景。殺人が悲劇ではないという悲劇。明るく閉塞した空洞感に震撼。円環構造も脱出の不可能を示唆して効果的。そしてその世界を生きるコドモはやはりコドモでしかないという最大の悲劇。しかし安全圏から知った顔の解釈を口にすれば八方から撃たれる感のある「実話」を”過剰に”戯画化する姿勢に疑義。 [review][投票(1)]
★3プレデター(1987/米)「ベトナム/ステルス/ゲリラ」トラウマモノ@南米。それを米国製脳筋(ルーツはオーストリア)に肉弾戦で克服させる危険なバランス。「ヤツ」が腐ったレゲエの神様というのも興味深い。”エイリアン”は”醜くあるべし”という短絡性。一方「狩り、狩られる」という関係性が「ころしあい」という定番化したアクション風景中で原理主義的色彩を帯び、後半が「呪術的神罰」チックな阿鼻叫喚。良くも悪くも戯画的で、悪くないのである。[投票]