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[コメント] ジャズ大名(1986/日)

「希望」としての「馬耳東風」。留まって高まるのは音楽だけでいい。「それ以外」で去来するものは「ま、(そんなことは)どうでもいい」。この世界観に嘲笑や虚無のノイズがないという奇跡的純度に感動。心の底から笑ったし、だからこそ泣いた。最強の喜劇だと思う。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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劇中繰り返される「ま、そんなことはどうでもいい」。そして類似する台詞。

何がどうでもよくて、何がどうでもよくないのかという「価値」の逆転や脱構築を図った作品は少なくないとは思うのだが、それが最も洗練された形式(これは世評と逆行するかもしれないが、僕の見立て)で示された、最高の喜劇の一つだと思う。

死と争いの台風の目で、本来看過しにくいそれらを「どうでもいいこと」として、虚無でもなく、例えば『竜馬暗殺』のように陰惨な「ええじゃないか」でもなく、明るい馬耳東風を決め込み、果てに本来「どうでもよい」狂騒に明け暮れる事は、実際はとても困難な事だが、これを「希望」と名付けずにどう生きればいいというのか。

圧倒的な祝祭感だ。この哲学において、この作品は一つもぶれず、破綻していない。

ボーモント近くの激戦地の墓標(十字架)の群れに、東西南北を指し示すテロップが重なる。藩境の朽ち果てた門が十字架を模してオーバーラップする。あらゆる死の上に、この喜劇が立っていることの表れだ。これがあるからこそ、対峙する喜劇に強度が生まれる。しかもこのドタバタには、後ろ暗く斜に構えた皮肉が介在しない。純粋さがある。これはデタラメしか頭にない人間には出来ない芸当である。あんなに美しい朝日を撮ることができたのも、同じ理由だ(「夜明け」が美しいかどうかは良い映画の要件だ)。

それに、この映画の台詞群、笑える以前にやたらと美しい(役者の把握力も完璧だ)。笑えるのは美しい証拠と言うべきか。個人的に笑ったのは、老中(財津一郎)が江戸屋敷の監督不行届のお詫びとか言いながら切腹を図ろうとして、結局断念するシーン。座敷牢からジャズが流れてくるのだが、「こうも騒々しくては、とてもとても・・・(死ぬことなどできませぬ)」と泣き崩れる。これだ。「どうでもよく素晴らしいもの」を前にして死ぬ必要などどこにもない。美しいという形容はこのような台詞にこそふさわしい。馬鹿げて見えつつ、どこまでも感動を伴った深みのある笑いだ。

何かどうでもよくないことがあるとすれば、「どうでもいいもの」こそ希望となりうるということだ。

そこはどうでもよくないですよね?喜八先生。

(評価:★5)

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