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[コメント] 宇宙戦争(2005/米)

不死身のダディの綱渡り家族愛貫徹。陳腐化したヒロイックなテーマを、ここで、この状況下で、敢えて「ヒーロー・生者」であることの疚しさとして提示するスピルバーグの自己批判的覚悟。なるほどトム・クルーズ。極めて痛切。そして「毒」について。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







一見共闘者であるかに見える武闘派ティム・ロビンスの登場で、もしや大逆転のB級アクションに移行してしまうのかと一瞬心配したが、杞憂であったことが嬉しい。ナレーションによらずとも、彼の殺害によってようやくテーマの全貌が見える。しかし、トム・クルーズが逃げ惑う群衆をかきわけ、友人の顧客の車を奪い、銃で暴徒を威圧し(エイリアン相手に使用するかと見せかけた伏線としてのアップショットの多用のミスリードが素晴らしい)、満員のフェリーに突撃したとき、既にそのテーマは見えていた。度々クローズアップされる斧、ショットガン、拳銃、兵器類。数多の「大義」の殺害に立脚する生。暴徒化する人間の本性。

それ自体は目新しいことでもないのである。例えば暴徒化する人間の本性については『ミスト』における同趣旨の描写すら私には陳腐に思えた。私には”スピルバーグが”これを撮ったということが衝撃だった。ヒーローであることの疚しさを、自らが信じ、使い古してきた「家族愛」のイメージを忠実に愚直に”この状況下”で再現することによって表現する。これは自らを磔にする行為だ。

そして「不死身のヒーロー」の象徴的たるトム・クルーズのキャスティングは会心と評価せざるを得ない。「彼なら何とかして助かるはず」。では、その「何とかして」とはいかなる手段によってか?この問いを生じさせる被写体として、確かに彼をおいて他にはないだろう。

「父」という血まみれの正義とのジレンマを体現する彼の演技は、自覚の上に立って行われており、極めて痛切なものがある(ラスト・ショットの表情も、考え抜いた結果でなければ表現出来ないだろう)。そして彼の行為を捉えるカメラも、共感と嫌悪の狭間で絶妙な距離をとっている。そして、大虐殺に対して麻痺した観客の網膜に突き刺さる(厳密には直接突き刺さらないのだが)、「ヒト一人の殺害」という衝撃。

そして、エイリアンにとって「毒」であったものと、我々が馴れ合っているということ。そして、おそらく「毒」なしには我々は生存できないのだ(風の谷のナウシカの原作みたいな話ですが)。「毒」とはなにか。その比喩は単なる「バクテリア」を指すだけにとどまらないことは、上記のテーマと照らし合わせて自ずと明らかだろう。

そのテーマ自体も陳腐化しているのかもしれない。また、詠嘆が放り出されているだけであることに不満がないでもない。しかし、私にとって問題なのは、それが「痛切」に撮られているかどうかということなのだ。私たちはどんなテーマが描かれるにしろ、どんなときでも溺れず、酔わず、しかし「痛切」な画を観たいのではないか。そして、これは紛れもなく「痛切」な映画である、と思う。

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教会の尖塔を突き上げて登場するトライポッド、一瞬にしてなぎ倒される高架橋(このロングショットは純粋な画として素晴らしい)、炎上して爆走する列車など、各所のショットは驚きに満ちており、そのショットの意味付けも的確だ。そして凄まじい音響。劇場で鑑賞された方の衝撃はいかばかりであったかと思う。そして、文字通りの「血の海」に最も度肝を抜かれた。文明が数日間の内に瓦礫に還元される画はいやになるほど観てきた訳だが、慣用句をそのまんま放りだされるとかくも凄まじい。ヒトは自分の作り出すものや自身に結局のところプライドがあって、その生命を機械やその他単純な物質に変換されることへ過剰に恐怖する。「灰化」にしてもそうだろう。

これは予期しないところを突かれた。怖かった。これは一方で、凄まじい圧力の暴力によって、ヒトが「変換される」映画なのだ。その表現は映画でしかなしえないことだろう。 血まみれの大地に一人心を失って立ち尽くすダコタ・ファニングと襲いかかるエイリアンの構図に戦慄。とてつもなく禍々しい画だ。

細かいことだが、地下室のエイリアンとのせめぎ合いがまんま『ジュラシック・パーク』かと思いきや、第3の勢力として暴発要素としてのティム・ロビンスを同時進行で咬ませる辺りの演出の深化にも唸る。撃つべきか、撃たざるべきか。とにかく映画は綱渡りの判断の絶え間ない反復であるということ。

しかしエイリアン=タコというのはいかにも古い。より不可解で、おぞましいという感覚さえ抱き得ないデザインを彫り込む覇気があれば大傑作に昇華したと思う。ジョン・ウィリアムズのスコアもずいぶん老成したと思う一方、各所に若干の違和感がある。終盤のホルン、エンディング。ディザスタームービーに基本的に興味ない私としては破格の★4。今一歩★5に届かない。実に惜しい。

余談:ダコタちゃんの超音波スクリームは、それでも『エイリアン2』のキャリー・ヘンの足下に遠く及ばない。

(オリジナル未見)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)赤い戦車[*] [*]

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