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[コメント] あらしのよるに(2005/日)

異端の俺とお前。この世界に二人きり。捕食者と被捕食者の生理という足枷が加えられたロミオとジュリエットの理想的な翻案。「きっとあるよ、緑の森」。この台詞で涙が流れたのは私の心が汚れてしまったからだろうか。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作未読。色々なことを考えさせられた。相当ポテンシャルの高い原作なのだろう。今度読んでみることにしたい。

「緑の森(共存できるユートピア)などない」。ロミオとジュリエットのモチーフ(ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの=何で俺、狼なんかに生まれてきちまったんだあ!)を読み取り、排他的で不寛容な現実世界を踏まえて悲劇的な結末を読み取ろうとした私に突き刺さったのは、概ね不評な成宮寛貴の演技だった。訥々として拙いが、とても誠実な声色で、「きっとあるよ」をリフレインする。メイの澄んだ瞳とも相まって、何かこちらの心を試されるような、そんな気にさせられた。緑の森、本当にないのだろうか。

ロミオとジュリエットより良いと思うのは、濁流への飛び込みが死という逃避ではなく、その後もも試練が続くことを予見しながらも生の選択肢として選ばれていることだ。彼らのあいだにある障壁は、現実世界より過酷であるに関わらず。これは強いドラマだ。残酷な現実への処方箋のようなガブの軽い「やんす」口調とメイのまっすぐな瞳に、以降のシークエンスでは心を揺さぶられる感覚だった。

私は、メイとガブの関係が男対男だろうが、男対女であろうが、あまり重要なことではないように思える。確かにメイを前にして腹が鳴るのを必死に抑えるガブの姿は、勃起してはならない相手に勃起してしまった男の罪悪感に近いものを読み取りはしたが、そう言った生理の対象が男であるか女であるか、問題にするのは前世紀の価値観であると思う。そこに嫌悪を読み取るなら尚更だ。

(評価:★4)

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