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[コメント] クロッシング(2009/米)

「善か、悪か」ではなく、「より善か、より悪か」。それが問題だ。"Finest"なる者は存在しない。少なくともこの世界では存在しえない。
DSCH

**ネタバレ注意**
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fine(立派な、良い)の最上級格が転じてfinest、即ち「警官」になるらしい。原題『Brooklyn's Finest』が『Brooklyn's Police men』でないことの意味は、冒頭の善悪に関する禅問答、告解のシーンから見ても明らかだ。これは善悪の混沌である人間が純粋な善を行うことの不可能性を描いている(「命を守るため、間違ったやり方で正しいことをする」)即ち、finestなどというものは存在しない。存在しえない。答えは簡単、何故なら彼らは人間だからだ、というアイロニーである。

この前段が貫かれているから、数多の悪警官モノとは一線を画した顛末の説得力と演出の一貫性がある(そもそも彼らは「悪」というカテゴライズができない)。神ではないヒトの身で善を行うことの限界を背負って破滅する、もしくは生き続けなければならない悲劇。「存在しえない」のに「存在しなければならない」警官という存在。警官とは、とても倒錯的な存在なのだ。しかし必要とされ、その重みに耐えかねて滅びるもの、あるいは『ダーティ・ハリー』化するもの、さまざまだ。これも神の沈黙に関する物語であり、極めてゼロ年代らしい価値観に基づいて撮られている。

演出上では、何より「街」を「世界」として描き得ているのが良い。これがうまく出来ていない映画は多い。また、結局ギアギアしちゃう件から、これを逆手に取って突き落とす後段もサディスティックだ。また、冒頭のギアが拳銃を咥えるシーン、どう見ても"Finest"に見えない冒頭のホークなど、割と予想できない画が連なるあたりも驚きがある。トイレでチードルの鏡面に映った姿の捉え方も納得感あり。潜入捜査って、ヒトの精神を破壊するものだと思う。

(評価:★4)

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