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[コメント] プロメテウス(2012/米)

単なるSFスリラーではなく、「エイリアン」という生命体を鏡として、ヒトを含む生命そのもののグロテスクや母の強さ(恐ろしさ)を裏テーマとして扱ってきた。ギーガーのデザインと切り離せないそのテーマを、改めて説明したという意味では買い。そして、デイヴィッドの造詣が良く、手塚治虫的という意外な余韻が残される。超個人的だが。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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人類の起源が「エンジニア」にばら撒かれた彼らと同じ遺伝子でした、なんてのはどうでもいいことで、「人類は、どこから来たのか」なんて謳い文句は馬鹿馬鹿しいことこの上ない。深みのあるフィクションとして問題なのは、「エイリアン」と旧作で呼ばれて来たあの「怪物」がヒトに近しいもの、起源を共有するもの、ヒトの鏡であったという点である。リドリー・スコットの第1作の没シーンでは、ランバートを襲う直前、暗がりに潜む「エイリアン」が体育座りして、「遊んでよ」と言わんばかりの仕草で獲物に近づく、その「人間のような」様が描かれている。その生理や、性器を模した姿形など、生命のグロテスクを圧縮・濃縮した鏡、外部にいる「エイリアン」ではなく、ヒトの、内なる「エイリアン」だったのだった。これを再確認できた、というだけで、個人的なファンとしての嬉しさがある。ああ、一貫してたんだな、と。

ところでこの作品、一貫していないとされやすいリドリー・スコットのなかではテーマを貫いているもののように思われる。造物主を気取り、定命を欺こうとして創造物に懲罰を受けるエンジニアらやウェイランド社社長の設定。アンドロイドの魂の問題。これはブレードランナー 的でもある(製作総指揮にあたっている続編でもこのテーマは引き継がれていた)。 生き残りの科学者が、全てを失って尚も飛び立ち、アンドロイドと悠久の探求の旅に出る、この余韻は手塚治虫的で好き(「火の鳥」のよう。)。2001年宇宙の旅的でもある。(そもそも、モノリスにより知識の種が蒔かれた、あの設定と今作似てませんか?収束も然り。ヒントはこの辺にあるのかも)再出発の際の問答がよい。科学者側は殆ど自分の気持ちを説明出来ておらず、デイヴィッド側も完全には理解出来ていないのだが、説明のつかない、ヒトの「魂」と解釈したのだろう。ウェイランドの死による解放を望んだデイヴィッド(「誰もが親を殺したいと望むものなのではありませんか?」)が劇中で果たしていないもの、魂の獲得。科学者の回答を聞いた際のデイヴィッドの微笑みが良い(非常に細かい演技で、素晴らしい)。

・・・と、コンセプト上はかなり好きなのだが、SFスリラーを期待する層からは怪物が端役の上に散らかったように見えるだろうし、実際散らかっている。「神」ウェイランドに反駁する娘、ヴィッカーズも美味しい立ち位置を活かせていない。惜しいと思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)t3b[*] おーい粗茶[*] シーチキン[*] けにろん[*]

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