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[コメント] ゼロ・グラビティ(2013/米)

人間がクルクルと無重力に翻弄され、「宇宙」が襲いかかる画は『2001年』を想起させるが、冷笑で支配するキューブリックとは真逆を行くエモーション。体の重さを失って心の重さを知る。心の重さを知って、大地を踏みしめる。これは「生まれること」についての物語だ。再突入シーンの「死と虚無に追いつかれないように速く!もっと速く!」という臆面もない熱さに射貫かれる。これをこそ待っていた。(修正改稿)
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







(『アビス』、『トゥモローワールド』、なぜか『ダークナイト』のネタバレあります。 興奮して乱文気味だったので一部修正し、再見して追記しました。更に乱文になったかもしれません。)

トゥモローワールド』(なんて酷い邦題だ!)でドッキューンと射抜かれたので、今作は大変楽しみにしていましたが、いやいや期待通り。映画と哲学を専攻したという経歴がこの監督さんの場合、実に実に頼もしい。(多くの場合は足枷になると思うんですよ、「哲学」っていう経歴)。

非常にわかりやすいので改めて語るのも野暮と思いますが、これは「生まれる」物語だ。命綱は臍帯(ステーションに戻ったときのポーズが印象的ですね)、ランディング時に溺れかけるが、あの水は羊水。生還時、ブロックが下着姿なのも、実際宇宙服の下はそうなのだが、裸に近い、新生児のイメージを想起させていい。再突入のシーン、強烈なGがかかって血管の浮き出たブロックを見ると、産道をくぐって赤ん坊が生まれる、ってこういうことなのだろうな、と思わせるものがある。大地に立つブロックの足取りの覚束なさはまさに幼児のものだ。新たに生まれたブロックが見上げる空を、宇宙ステーションの残骸が横切り、燃え尽きていく。それは何か、生まれなかった命の象徴のようであり、対比して、苦しみをくぐり抜けて生を受けることそのものの奇跡を描写しているようでもある(『トゥモローワールド』と本作を観る限りでは、「生む」、「生まれる」、「母」というテーマを、この監督は一貫して描こうとしています)。

ソユーズのメインエンジンが起動せず、自死を図るブロックに死んだクルーニーが語りかけるシーンで、「ここは居心地がいい、目を閉じて心を閉ざす、傷つかなくてすむ、そのうちに眠りにつける、でもそれでいいのか」という主旨の台詞がある。ブロックは一度「死(宇宙)に還る」ことを想っただろう。生の苦しみを断ち切る死もまた、母の隠喩だ。(死の懐に抱かれる、とか言いますよね。)しかし、新しく母として「生(地球)に還る」ことを強く想うようになる。無線マニアか誰かの通信と繋がって、赤ん坊の声がするところなんか素晴らしくて、ブロックに亡くなった娘の事を思い出させ気持ちを死に向かわせる契機にもなるが、新しい母として地球に帰るための、未来、希望の象徴として立ち現れる。死から生に還る意志「生まれる」ための力こそが「重力(グラビティ)」という原題の意図なのだろうから、一義的な誤解を招きやすい今回の邦題にも最低の評価を捧げたい。とにかくこの意志の力と容赦ない宇宙の暴力との戦いに、結構早い段階から私の涙腺は崩壊しており、シンプルな物語を強靭に画面に焼き付けるこの監督さんの心情、心底好きだと思った。無重力で浮かぶ涙、って意外となかった画だなあ。素晴らしいなあ。

生死を対立項ではなく、表裏一体として捉える視野の確かさも。上記に述べたように、死には死の安息があり、生には生の苦しみがある。地球に到着したブロックを待ち受ける水。ブロックを本来救うはずの生が、ここで彼女を殺しにかかるわけです(極寒の脱出艇の「火」もそうなのかもしれません)。あの水はさぞあたたかかったことだろうと思うが、この「水」が育んだ、脚にまとわりつく水草と沈む体。それはあたかも形のない宇宙が憑依し、意思を持つかのようにブロックを絡め取ろうとしたパラシュートの悪意=死の執拗さのリフレインになっている。つるべ打ちされるパニックシークエンスのある種のハリウッド的なしつこさは、単なるアトラクション的な意図に埋没していない。意味がある。世界観が反映されている。意味のない画に、私は感動しない。何より、ブロックから娘を奪ったのは「重力」に他ならない。生は苦しみを生む。それでも可能性のために生きる。

エンドクレジットでは、A mi mama,gracias.と母への感謝の言葉が述べられている。『トゥモローワールド』と本作を観る限り、監督は醜く苦痛に満ちた世界の先を見据える作劇を貫く人だ。「この生きることの苦しく、それでも美しい世界に生んでくれてありがとう」ということだろう。駄目押しで涙が出た。

演出にはほとんど瑕疵を感じない。音楽がうるさいとする向きもあるかもしれないが、ここでリアルを追求したところで何を語ることが出来るだろうかと思う。上手下手を超えた監督の心情に何よりも共鳴する。ラスト15分の絶唱は苦笑された方もいらっしゃるかもしれないが、私は心底感動した。これでいい。これがいい。「死と虚無に追いつかれないように速く!もっと速く!」このスピード感と音楽がいい。涙が止まらない。

上下が混乱し、次第に平衡感覚が失われる画面は、単に臨場感の演出にとどまらず、恐怖と孤独に揺さぶられるブロックの心情とシンクロする。これを経て、裸足で踏みしめる大地の確かさ。あたたかみ。ギャップが利いている。

クルーニーというキャストには余裕があり過ぎるように思い、一瞬心配になった。彼だったら本当にソユーズに戻って来そうですから。でも彼のユーモアをもってしても欺けない死の重みを感じさせたので、的確なキャスティングだったと思う。 3819695さんのレビューで感銘を受けたので、先日、映像は観ないで、音だけ聞いてみた。このクルーニーは素晴らしい。あの状況下で饒舌でいることの心情を推し量ると胸が張り裂けそうになる。このクルーニーの「生還しろ=You will make it.」という台詞を、『ダークナイト』の、人間への信頼を全否定する脅威的な台詞「愛する人間に、大丈夫でないときに大丈夫と言ったことがあるか。大丈夫だと言え。大丈夫だと、嘘を吐け」に対峙する名台詞として記憶しておきたい。

音に関する感覚は鈍感などでは決してなく、ランディング時に無線で受信する音の奔流、虫の羽音、水の音など、作り込まれている。地球は、音で溢れている(ここで対比して突然思い出されたのは『戦場のピアニスト』の無音の街。)

ブロックはあまり興味のなかった女優さんなんですが、終盤では表情に意志が漲ってとても美しい。ジェームズ・キャメロンが賛辞を送っていましたが、なるほど好きそうですよね(笑)あと、ブロックの吐息。これ素晴らしいです。アカデミー賞獲れなかったのが残念。音だけ聞く、ってなかなかない映画の見方だと思うが、おすすめしてみたい。

NASAの管制官の声をエド・ハリスが充てています。もともと大好きな俳優さんなのですが、最初に引き合いに出した作品よりも、『アビス』の心情を想起したので、主役をやっていたという事実との符号にちょっと嬉しくなりました。あの作品も、羊水の暗喩らしき液体酸素を吐き出すシーンがあります。

最後に(最後なのかよ)映像について。劇場で観て圧倒された。ISS崩壊シーンも興奮した。「空に落ちる」というイメージも素晴らしい。3Dだからこそとも思うが、私は、「2Dで観ても魅力は些かも損なわれなかった」、と強く強調しておきたい。地球の描写で印象に残ったのは、「夜」の地球。街のあかりだけが見えるのだが、これが、世界が燃えているようにも見えるのだ。これも監督の世界観の反映なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。でも、優れた映画って、作り手の意図のみならず、その意図をも超えて、観るもののイメージを揺さぶるものですよね。

(評価:★5)

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