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[コメント] スター・ウォーズ フォースの覚醒(2015/米)

核である英雄が失われ、世界が分裂・拡散する時代のスターウオーズ。そして歴史が繰り返される無常。「お約束」と「ファンサービス」がここまで時代性を得て変奏されるのは『ダークナイト』以来・・・という評も狙って作られてると思しき小癪さだが、残念ながら僕はそういうの大好き。遺憾ながら(笑)最高の興業的新作にしてルーカスの神話を相対化する最高のリメイクでもある。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







砂漠で放擲された旧帝国の歩行戦車を尻目に、旧反乱軍のボロいヘルメットをかぶり、レイが何かまずそうなものを、まずくもなさそうにモグモグ咀嚼する。そして旧作の禁忌であった流血描写。このシークエンスから監督が時代性を踏まえて旧作の神話を相対化しようとする姿勢がはっきり感じられ、傑作の予感はこの時点で当たったと感じた。興業にそんなもの持ち込むなよ、という人のほうが多いのではないかと想像するが、僕が旧作に足りないと思っていたのはまさにこういう、肌で感じられる同時代的な感覚なのだ。砂漠に打ち捨てられた戦艦は、その巨視感がこれまでなかった視覚的な驚きをもたらしていただけでなく、旧作のあの「活劇」であった戦争が「平和」に関して何の意味も持たなかったことを示唆している。反乱軍の「勝利」は、劇中歴史上では辺境スラムの肥やしを少し増やしただけなのだ(戦争の残骸で飯を食う。何の気なしには撮れない)。少なくともレイにとってはその程度の認識しかない。この描写は、スターウオーズという興業としては相当の覚悟を要しただろう。この虚無感は半端ではない。ルーカスが持ち得なかった、もしくは敢えて描くことが出来なかった、苦い苦いリアルなオープニングだ。

これは英雄が力を失った時代の物語だ。銀河帝国が滅びてから数十年、混乱は収束せず、新たな核(ジェダイ秩序)の構成に失敗し、老いた英雄は隠遁、存在は忘れ去られた。ハン=ソロは現実に目を背けて盗賊ごっこ。レイアも局地的なゲリラ戦ではどうにも世界に作用しないことを悟ったか、背筋は丸く、威厳らしい威厳もない。「あの頃」から、(現実を含めて)世界は変わったか。確かに変わったが、新しい混沌があるだけだ。核は失われ、混沌はむしろさらに広がった。ルーク不在でぽっかりと穴の開いたような虚無感と不安(ゴッドファーザー2におけるヴィト・コルレオーネの不在と、不在による混沌から受ける印象にも相似する、と言ったら大袈裟だろうか)。リアルに歴史と年輪を重ねたキャスティングは、単なるファンサービスにとどまらない旨味をもたらしている。枯淡がやたらとメタ的に生々しいのだ。もはやスターウオーズも、現実から逃れて夢見ることを許されなくなったのだ。ネオナチみたいなファーストオーダーのデザインだって、荒唐無稽というよりは、下手すると、こういう奴らって本当に現れかねない、という印象を抱いたのである。

僕はオープニングでざっくり語られるあらすじが前々から嫌だったのだが、歴史の空白、帝国崩壊後の混乱の行間を読み、現実世界と照らし合わせる深みが今回はあった。従来、『ダークナイト』を除いて、興業的な作品でここまで深い無常を表しえたものがあっただろうか。小物感漂うファーストオーダー将軍、衛兵に見向きもされないレン騎士団長(かつての核ベイダーに憧れ、同時に届かない小物)、脱走兵フィンのボンクラ感。そして忘れられた大義。ここには核がない。ただただ踏襲されるだけの前例(レンのマスクに深い意味がなくファッションに過ぎないあたり秀逸だ)。歴史は意味を喪失したまま何かに急き立てられるように繰り返す。核を失った世界は核を求める。そして、その核はいずれ存在することを許されなくなるだろう。この、現実とリンクしたリアルな円環を提示することは、スターウオーズという興業でしかなしえなかったことなのだ。興業が興業であることを最大限に利用した、無二の作品だと思う。事実、この映画は旧作のシークエンスを露骨にリフレインするのである。

シリーズを観てきた人なら当然分かるように、筋書きはほとんど既視感バリバリの旧作の換骨奪胎だ。ジャクーはタトゥイーン、ルークの所在を示す地図はデススターの設計図に相似。枚挙にいとまなく、あ、これ見た事ある、という感じだ(もちろん、純粋にニヤリとさせられるシーンもある。ファルコン号の中のボードゲームとか)。これを「新しいものは何もない」と断ずることも可能なのだが、敢えて繰り返すという姿勢を僕は高く評価したい。繰り返しでありながらそれが敢えて繰り返しであることの意味が深く追求されている。これは興業としてのファンサービスという要請への回答でありながら、同時にルーカスの描写を「自分なら繰り返す時代を踏まえてこう撮り直す」という監督の作家としての矜持の表れなのだ。繰り返す歴史の無常を提示するために。この意味で、これは最新作でありながら野心的なリメイクでもある。

もちろん繰り返しでありながら、少しずつ意味合いは違うのです。このデジャヴ感がとてもよい。アイムユアファーザーを踏まえてユーアーマイファーザーなシークエンスをしれっとやってのけたあたり、内心ウヒャヒャとなりました。これ凄いことだと思いましたよ。パロディにすら見えるこのシーン、監督は円環を提示するために血筋という道具を使って大真面目に撮ってるはずなんですが、旧作の熱心なファンって、これを冷静に受け止めることができたんですかね。さらに英雄不在の映画という文脈を踏まえれば(また、メタ的にフォードの年齢的、興業的前提を踏まえれば)、ハンソロ殺すだろうな、ルーカスなら殺さないだろうなと思うわけです(脇道にそれますが、僕が監督ならレイアだけは絶対ラストまで殺しません。歴史の重みと反乱軍の罪を背負わせます)。核を求めながら核は殺される時代なんです。核にも罪があるんです。でもやっぱりフォードいいオーラ持ってるし、僕の大好きなチューイを残して逝かせるのか、ほんとに殺すのか、マジかマジか、マジだったーっ!と重層的な興奮冷めやらぬ出来だった。

ラストなんかも旧作にない劇的描写で、「お前がここに来たということは、お前が円環を破る者ということだな。お前はこの「英雄」にはままならぬ世界で、「英雄」の罪を背負う覚悟があるか?」と表情だけで演技するハミルが絶品で(この弛んだ腹を見よ!これが演出というものだ!)、確かにルークは単に田舎を出てヒャッハーしたいだけの青年で成り行きで英雄になっただけであり、その結果としての世界を尻目に隠遁した罪を負った屑であるという自覚があるのだ、だからこそジェダイ復権でどうにかなるレベルの認識のオビワンケノービを遥かに凌ぐ深みが生まれており、レイは重みが違う、新たに語り直すという監督の意気込みも同時に感じさせるのです。これはイカした筋ですよ。

もちろん、純粋に娯楽映画としても楽しんだ。やっぱり旧作のキャラクターはいいし、アクションセンスもルーカスとは格の違いを見せつける。ロボ漫才、ハンソロとチューイのユーモアも期待通り。ハンソロの件はこの件においては残念(ウヒャヒャとか書きましたが私は泣きましたよ)だが、総合的には前述の理由から天晴れと評価したい。

この文脈だと、拡散する世界に新しい核をもたらそうとする筋書きになると思うのだが、それが果たして面白いものになるのだろうか。円環の中からしか円環を破る萌芽は生まれない、という描写には、また別の覚悟がいる。「光からの誘惑を感じる」なんて暗黒面転落から逆ベクトルのいい台詞でこのへんがキーになるのだろうが、生半可に描くと、『ダークナイトライジング』の二の舞、ただの絵空事になるだろう。今作は傑作だ。だが、非常にたたみにくい風呂敷を広げた結果になっている。次回が勝負ですね。

(二回観て、「私が選ぶ最高のカット」を記します。冒頭で記したシーンも捨てがたいのですが、ズバリ、スターキラー要塞で爆薬の起爆装置をためらいなく作動させるチューバッカ、です。ハンソロの死は、ジェダイの血を引くレイアがフォースの乱れを感じ取ってよろめくカットで確定的に示唆される訳ですが、このカットはやや親切に過ぎるのであり、私にはチューバッカのカットで足るのです。何故なら、数十年という長い期間、レイアよりも長く寝食をともにした彼なら、もしハンが生きているのであればそれは彼にもわかるはずで、むしろ彼以上にわかるものは、おそらくレイアを含めてもいないはずなのです。彼は慟哭のあとためらいなく引き金を引いた。押すぞ押すぞみたいなカットはない訳です。慟哭はしますが女々しくはないわけです。この容赦ないカット割りがいいんです。つまり、フォースよりも強い絆からはっきり感じ取ったのでしょう。そして彼の亡骸と共に要塞を爆破し、レイと生きる。それが「女房」である彼にとっての弔いだったのです。なんて中二病的に素敵なんでしょう。やっぱチューバッカ最高だわ、と確認したシーンでした。)

(評価:★5)

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