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[コメント] セトウツミ(2016/日)

臆病な二人、「流れ」と「沈殿」の映画。オモロいというよりも切ない、ほとんど恋愛映画。他愛ないような見た目と裏腹に引き締まった会話劇の機微と相まって、交わされ、外される視線の演出がとてもスリリングだが、ここまで切なくする必要があったのかとも思う。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







流れが滞っているように見えて、本当にノロノロとだけど、しかし着実に流れているドブ川の開幕。止まっているように見えて着実に時間は流れている、という「流れ」の通奏低音が一貫されている。「流れ」は、階段に座り込んで駄弁る二人の背後を通り過ぎる通行人や、移ろう季節などでも表現される。いっぽう、川の中に沈殿する小石のような二人との対照。そこはかとなく二人の時間を愛おしんでいるらしい二人には留まりたいという願望があるだろうが、否応なしに時は流れていく。「終わり」「流転」が常に予感され、他愛なさで沈殿して青春の不安に対峙する。この感覚が切ない。

ユルいように見えて、「終わり」を象徴するモチーフが散りばめられている。猫の死、離婚、老い、ぽとりと落ちる線香花火、突然割れるバルーンなど、それはほとんど必要以上といってもいいほどだ。そういう映画なのだろう。二人のコミュニケーションは、こういった「終わり」や「流れ」に関するものに立ち入りそうになると、巧妙にはぐらかされる。また、必要以上に相手に入れ込むのも怖がっているように見える。常に「終わり」が予感されるからだ。入れ込みすぎるといざという時傷つく。馴れ合いつつも牽制しあっているような臆病な二人のビミョーで絶妙な距離感と会話劇は、ほとんど恋愛映画みたいだ。交わし、外される視線にやきもきさせられる。この演出はとても巧いと思うし、二人も完全に役を把握していると思う。見せかけよりも見応えのある一作だ。

ただ、不穏なモチーフは盛り込み過ぎでやや鼻につく。こちらの読解力を心配しているのだろうか。あと主題曲が、何を指向しているのか不明で悔やまれる。

余談:セト君みたいな友達がぼくには二人いました。何で仲良くしてくれるかよく分からなかったので、片方には 理由を聞いたことがありましたが、話を聞いてくれるけど、面倒くさいことにはならなさそうで楽だから、とのことでした。褒められてるのかけなされてるのかよく分かりませんでしたが、こういうタイプって寂しいんだろうな、と思ったのを今でも覚えています。今でもぼくは変わらない生き方をしています。

(評価:★4)

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