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[コメント] マグニフィセント・セブン(2016/米)

私利私怨を超えて尊厳や大義のためだったとするなら、恐れや「正義」への疑念を跳ね除ける情念と挿話の彫り込みが少ない、あるいは矛盾があって説得力がない。結構駄目な映画に見える。どの辺が現代的なのだろう。この中途半端だとイーストウッド先生あたりにドヤされるんじゃないだろうか。原作もこんなものなのだろうか?
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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結局私怨で動いていたことが最後に観客に対してのみ明るみに出るワシントン、これを知らず感謝する町民、立ち去るサバイバー、そして「痛快」なバーンスタイン劇伴のエンドロール。結局この人のエゴで随分人死にが出ましたよね。みんな彼の「信義」に打たれて彼を信じて死んでいったのでは?これ、何かおかしくないですか。ここで立ち上がるはずのワシントンへの疑念がスルーされる。それが皮肉な事態として描かれているわけでもない。大義とは、正義とは何か。このテーマについて、何か嘘ついてるか、逃げていやしませんか。もしくは無自覚?

ボーグ(悪代官)を追い詰める件での私怨の開示をなくすか、のっけから復讐バリバリの活劇の方がすっきりしませんか、バーンスタインが自然につながりませんか。前者なんか、「貴様、何の見返りもないのにこんなことを、、、気狂いなのか?」「ああ、そうさ、気狂いさ。気狂いに目をつけられて、運が悪かったな」みたいな感じで、かえってアブナイ感じも出て面白くないですか。原作もこんなものなの?なんかこの中途半端というか矛盾、イーストウッド翁あたりにどやされそうな気がするんですが。教会のシークエンス、沈黙した神に裁かれるのはボーグだけじゃないはずのように見えるんです。私は西部劇全然詳しくないんですが、『ペイルライダー』くらい踏まえておくべきなんじゃないでしょうか。

ワシントンがベネットに対して依頼の目的を問うシーンで、ベネットは「正義」と答え、副次的に「復讐」と述べる。ここも何か嘘っぽい。そんな馬鹿な、と思う。「復讐」と断言させて、「へッ、気に入ったぜ、お嬢さん。引き受けた」「その呼び方はやめて」「分かったぜ、お嬢さん。地獄に落ちる覚悟はあるかい?」「ええ」みたいな感じのほうが面白くないですか、むしろ正しくないですか。

地下に隠れた子供達の頭の上で、次々に父達が倒れていく。「パパ!」子供達の絶叫が響く。誇りのためだろうが何だろうが、子供達にはただしく地獄である。マジでいたたまれません。こんなシークエンスを入れるくらいだから無自覚なわけはない。しかしこの事態を招いたベネットの演技は硬く、伝わるべきものが伝わらない。宿願は果たされたが、失ったものもあまりに大きい。彼女も罪を背負い、いずれ裁かれなければならない。それを覚悟で彼女は戦ったのか。この描写が弱いのだ。ラストのモノローグがまた微妙だから何を考えてるか分からない。

あと、「人種」の話。騎乗して現れるワシントンに対して白人が向ける「テメェ(「ニガー」)、何様だ?」というレイシストの視線。ワシントンは華麗にスルーする。そうだろうと思うのだが彫り込まない。タランティーノ先生ならここだけでたっぷり1時間使いそうなものだ。

多国籍人種に関する要素はどれも彫り込まれない。配置しながら扱わないのは、そもそもそのことを問題にしないことが正しいという意志表明なのだろうか。そう撮られたようには思えないし、これは現代的でもない。タランティーノ先生の『ヘイトフル・エイト』を見てみるがよい。人種間憎悪は今も拭えていないのだ。楽天的過ぎる。これを乗り越える挿話はほぼ皆無だったのだ。

タランティーノついでで言えば、ベネットが狙撃の凄腕になる過程も納得いかない。『ジャンゴ』くらい「殺しの教育」みたいなシークエンスがあっていいじゃないか。更に言えば街中の虐殺シークエンスのギミックは三池版『四十七人の刺客』が上だし、何だか撮影も相性が合わない。何かCGみたいな空。この監督、『イコライザー』が結構面白かった分期待したんですが失望しました。ドノフリオがイカれた役なのはいつも通りですがちょっと嬉しかったです。

(評価:★2)

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