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[コメント] バクラウ 地図から消された村(2019/ブラジル=仏)

清汚併せ呑む「マイノリティ」「逃亡者」のアジール。多様性だの人権だのとうるさい、面倒だから消えてしまえばいい、という「マジョリティ」の潜在意識。「今から数年後」とされる点から、大なり小なり、いずれ血の雨が降る、という「断絶」の予言的寓話として観るべきであり、混沌がジャンル映画的に簡潔な帰結に至るのもアイロニーの一つなのだろう、と思いたい・・・が。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







注目すべきなのは、襲撃者側の「人種」的出自のバックグラウンドも多彩であり、意識的、無意識的であるかに関わらず「マジョリティ」という観念が既に幻想となりつつあるのではないか、という視座である(社会学的にはかねてより幻想とするのが定説だと思いますが)。失われた幻想にとらわれているうちに、後戻りできないカタストロフが訪れるだろう。「まだ始まったばかりだ」というウド・キアの最後の台詞を、重く受け止める必要がある。だが、それは既に起こっていることなのではないか。新しいものとして提示される物語であるようには思えないのだ。それでも伝えなければならないところにきてしまった、というならそれはそれで了解するが。

ドラマ運びの点では、もっとガルシア・マルケスとか阿部和重的に魔術的な展開を期待したので、はっきり言って拍子抜け。長老の死から始まるこの物語、もっとダイナミックな、100年単位規模のスパンで栄枯盛衰が語られるべきだと思った。この観点では、後半の簡潔さは単に語ることに力尽きたようにすら感じた。あらすじが面白すぎるというのが正直な印象。

ウド・キアのキャラのブレは何なのだろう。計画性の鬼かと思えば衝動的に仲間を撃ったり、自殺を図ったかと思えば往生際が悪かったり、かつては善人だったと宣告されたりする。襲撃者側がどうもプロではなく半分以上素人らしいことも含めて、一般人が代入できるような作り(彼らが外的に特別な人間ではなく、誰でも直接的間接的に関わらずこのような当事者になり得るということ)にしたかったのだろうか。或いは自滅・自殺するマジョリティという暗喩?

最もよい画は、青空の下で返り血を浴びたルンガ(ゲリラのボス)が黒幕を凄まじい眼光で睨み付けるカットだろうか。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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