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[コメント] DUNE/デューン 砂の惑星(2021/米)

文字通り血を吐く異文化交流。五感で飛び込み命を賭ける全霊のコミュニケーション。これはヴィルヌーヴらしい「境界線」上のドラマの徹底。無類の「巨きさ」と細部の意匠、「豊穣な緩慢さ」にも磨きがかかり、もはや新古典の趣。ド直球で好み。嫌いな人がいるのも相変わらず頷けるが。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ボーダーライン』というそのままズバリな作品名もあるから短絡的という誹りは甘んじて受けるが、少なくとも『プリズナーズ』以降、ヴィルヌーヴの主テーマはあらゆる「境界線(ボーダーライン)」上のドラマを描くことにある。善と悪、敵と味方、本物と偽物、人間とレプリカント、魂とAI、異星人と地球人。境界線の上で異者が時に殺し合い、時に融和し、時にお互いが互いの領域に境界線を踏み越えて入り込む。次第に境界線が曖昧になる酩酊感が常にあり、そこには必ず「コミュニケーション」があって、それがまさにアクション、ドラマとして描かれることが徹底されている。ヴィルヌーヴの挙げる一作には『未知との遭遇』があるそうで、『メッセージ』ではその影響が顕著だが、あれもやはり境界線とコミュニケーションの映画だった。言ってみれば古典的なのだが、意識して描くのとそうでないのとは、レベルが違うのだ。

本作も同様である。ポールは砂漠の民やベネ・ゲセリット、残忍なハルコネン家等とのあらゆる過酷なコミュニケーションに身を投じ、境界線上での運命に流され、また運命を変えていく。境界線上で異者同士が対面するシークエンス、アクションのみならず会話の一つ一つが、単にストーリーを費消するためだけのものではなく、すべてが、極めてスリリングなのだ。この作品では特に、じっくりと五感と結びついた描かれ方をすることで強度が高められている。(リンチ版でも印象に残ったのは五感(果ては第六感まで)を強烈に刺激するシークエンスの数々だった)。スパイスの刺激(嗅覚)、夢やベネ・ゲセリットの試練(第六感)、決闘で敵を初めて剣で貫く感覚(触覚)、虫の体液(味覚)。特に砂漠の民に対しては、そこに飛び込んで理解し融和していくためのものであるというのがすごい。決闘も理解と融和のシークエンスなのだ。リンチ版でうろ覚えだが、虫の体液を飲むと悶絶して血を吐くんじゃなかったか。多様性理解などと口にするならこれぐらいが本物、覚悟を持てと言わんばかりの苛烈さであり、ここに普遍的に訴えるものがあると思う。文字通り血を吐くような、境界線上の、命がけのコミュニケーションの数々であり、それがまさにドラマであるというヴィルヌーヴのメソッドが徹底されているのだ。

融和する人ポールが自ら足を動かし、手で触れ、飲むことで相手を知るコミュニケーションのキャラクタであり、征服者ウラジーミル・ハルコネンが正対して話さず、足を動かさず、相手の目を見ず、一人で貪り、理解せず殺すという反コミュニケーションのキャラクタであるのも、描き方として徹底していると思う。五感描写の徹底という意味では、剣戟による戦い、相手の首を斬る感覚にフォーカスされるのも生々しくてよい。

細部の意匠はあらゆる点で涎が出る。ハルコネンの爆撃の砲弾がシールドをゆっくり突き破り、着弾した後の爆風がシールドに沿って一気に広がり、艦体を焼き尽くす。庵野秀明が『エヴァ』最終劇場版で似たようなことをしていて「おおっ」となったのだが、これを超えたと思う。ハルコネン母艦のデカさ、重量感の素晴らしさに悶絶。これは『フォースの覚醒』の墜ちたスターデストロイヤーの描写を超えている。キャストも含めて、全てド直球で好み。ずっと浸りたい没入感。

(その他)

このストーリーについて、アラブの石油資源の利権争いをヨーロッパ圏の救世主が救うという傲慢さのあらわれだという捉え方をして批判する向きがあるようだが、ポールは征服者でなく融和していく人であり、真の王者は(十字軍的な征服者ではなく)求められてなるものだ、という語りがあるので、そう見られる向きがあるであろうことは容易に想像できるけれども、批判には当たらないと思う。ヴィルヌーヴもそのような描き方をしていないと言及しているようである。

ストーリーの区切りは、私はまったく妥当と思いますけどね、、、

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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