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[コメント] シンドラーのリスト(1993/米)

選んで救うこと。選んで殺すこと。あるいは無差別に殺すこと。徹底された「選別」の映画なのだが、事象の切り貼りである「映画」もまた「選別」だとすれば?選別の究極を描くと同時にスピルバーグの一つの映画論でもある気がする。このシンドラーとスピルバーグは同一人物なのだ。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







赤い服の少女について、露骨な視線誘導が行われる。監督の、シンドラーの選択である訳だが、観客の立ち位置からしても、この少女に注目するとき、他の事象が見えにくくなる。これも「選択」である。子どもたちなら、他にもたくさん登場するのだから、彼女に特に注目しなければならない謂れはない。この時、画面の外にある事象は我々の認識外に追いやられている。

逆に言えば、ここで起こったことは、ほとんど人間がまともに認識できる範囲、映画という枠を超えた暴力なのだ。全体を理性的に把握することなどできない(その是非は別として)。恐らく全く描き切れていないと言ってもいい。ここで、シンドラーとスピルバーグは人が認識できる範囲の、一つの事象を選び取らざるを得なかった。そして、彼らに出来る限りの選別を行うことでしか、彼らを救う(記録する)ことが出来なかった。選ぶことができなかった者を救うことができなかった。ラストのシンドラーの嘆きは、ホロコーストを撮るというスピルバーグの嘆きそのものであるのだ。それはスピルバーグが直面した映画の一つの限界なのかもしれない。しかしそれは責められることではない。映画の限界を示すことで、逆説的に映画の外にまで渡る人類史上最悪の暴力の形を示した。出来る範囲の中で抗い描いたこと。そのことを否定できる権利は、誰にもないと思う。

ベン・キングスレーの経理士の役作りがいい。頑なな生真面目さが時にユーモラスで、ほっとさせられる。

(評価:★4)

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