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[コメント] ブギーナイツ(1997/米)

どんな姑息でクソッタレな人生でも、それと決めて始めてしまったら続けるしかない。一見華やかで脳天気なセックスとドラッグの饗宴はしかし、いずれ勃たなくなる男根が象徴する終わりや破綻への恐怖の裏返しのようだ。終わりを予感しながら「騒ぎ続ける夜」の、何という残酷さ。しかし、そんな人生達にも帰る家はある。というより、彼らは寄り添って家を「作る」だろう。優しい物語。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







パーティのシーンでは長回しが目立つが、その狂騒をザックリと切り捨てる年代表示のテロップが、時代の流れの残酷さを感じさせて効果的。長回しは、単に群像を一気に切り取ろうとする構成上の試みである一方で、「その状況にとどまりたい」という焦燥を表現しているようにも思われる。勃たなくなるウォールバーグはもとより、ムーアの荒れた肌に胸が痛む。そして、それに異を唱えるようにそれを自ら一発の銃弾で終わらせる寝取られ男メイシーのショットから「80's」のテロップへジャンプするキレ。これは名シーンだろう(メイシーの肖像がレイノルズ邸に飾られているという終盤のショットも感動的)。

もっとも私が感動するのは、ラスト、レイノルズが鏡に向かったムーアに語りかける言葉。日本語訳では「(お前をみつめているのは)お前が世界一セクシーな女だからだ」としているが「お前が世界一ファックなビッチだから」という言葉を使っている。当事者にしか通用しない愛の言葉。そういったところにこそ感動が宿る。

代理的父と母を象徴するレイノルズムーアは好演。ウォールバーグのデビュー作撮影シーンがほとんど「近親相姦」に見える、というのは私の目が悪いのかも知れないが、母と子が交わるのを父が撮影しているというある種の旨味あるシーンを経ながら、以後の三人の関係が思ったより複雑化・深化しなかったのは、例えばイエ的価値観「ジョーシキ」の相対化といった監督の意図によるものなのだろうか。もしくは単なるスルーか。ウォールバーグの妹にも見えるグラハムの役回りにも踏み込みの浅さを感じる。ほかにも群像の切り取りにやや物足りなさを覚えるのはアルトマン技法の限界か。

ウォールバーグがどれだけグレートな奴なのかということは、ゑぎさんのご指摘通りで、周囲のリアクション演技によって知る他なく、レイノルズが感極まって「俺の最高傑作だ」と呟くとき、感覚を共有できずに取り残される感を覚える。もっとも、傍目には大した物ではないのにそれに感動している(すがりつかなければならない)、という登場人物の横顔に滑稽と痛みを感じさせようとしているのだと思えば、それほど気にはならない。

全編佳作レベルとは思うが、「最後の賭け(The last one thing)」におけるラハド邸の攻防が、ほとんどここだけ別の映画のような面白さを見せる。P・T・アンダーソンは映画のタガの外し方を心得ている。

ジョン・C・ライリーが若くてお茶目なのが個人的にツボ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] 週一本[*] jollyjoker[*]

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